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佐藤博さん

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佐藤博さん
去る10月26日、仙台にいた時に沼澤くんから佐藤さんの訃報が届いた。
佐藤さんとはしばらく会ってなかったが、何かあるとメールを送ってくれて、電話で話すこともあった。僕なんかよりいつも遥かに元気そうだったので、いまになっても亡くなったことが信じられない。
溯れば70年代最初、僕が京都で"WESTROAD BLUESBAND"を始めた頃に佐藤さんと出会った。その頃、ブルーズに興味をもっているピアニストは本当に少なかったが(いまも少ないけど・・)、佐藤さんとは最初会った時にファッツ・ドミノやチャンピオン・ジャック・デュプリーの話をした事を覚えている。
当時はWESTROADやSOUTH TO SOUTHにセッション的に参加する一方で、大塚まさじくんや加川良くんなどフォーク系の方のレコーディングに参加していたと記憶している。当時に関西組ではいち早く東京に出た佐藤さんは、フォーク系のライヴで知り合った鈴木茂さんとハックルバックを結成し、結成直後日比谷野音のコンサートで会った。そのちょっと前だったか、WESTROADのファースト・アルバムの録音に佐藤さんに参加してもらった。
それから一緒に演奏する機会は本当に少なかったが、なぜか佐藤さんとは縁がつながっていて、偶然、夜中の駅のプラットホームであったり、新宿の本屋で出会ったり・・・・佐藤さんはすでに作曲家、サウンド・プロデューサーとしても有名になっていたが、いつも変わらず明るく、優しく、京都で最初会った時と同じように音楽の話をする人だった。そして、必ずと言ってよいほど「ホトケはいま何をやってるの」と訊く人だった。そして、僕のライヴも何度か聴きに来てくれた。
そんな佐藤さんから「ホトケ、詞を書いてくれないか」と言われて、佐藤さんのソロ・アルバム「HAPPY & LUCKY 」に「RAIN」という詞を書いたのが・・いま調べたら93年だった。その時に佐藤さんの横浜の自宅兼スタジオに何度か呼ばれて、ごはんをごちそうになりながら録音をした。その時、佐藤さんから仮歌を歌ってくれないかと頼まれて何テイクか歌ったが、佐藤さんのメロディが僕には難しすぎて「佐藤さん、無理」と言ってギブアップしたことがある。それでも佐藤さんは「いまの良かったのに・・残しておくね」と言われて、僕が歌った「RAIN」はどこかに残っているかも知れない。その後、アルバムが送られてきて、見たら「RAIN」が最初の曲になっていて、後日佐藤さんが「詞がすごく気に入ったので最初にしたよ」と言われて、すごくすごく嬉しかった。でも、いろんな素晴らしい作詞家の方たちを知っている佐藤さんなのに、なんで僕なんかに詞を依頼されたのかいまも謎だ。
また、一緒にライヴやろうよとお互いに言いながら実現しなかったことが本当に心残りだ。
若い頃はチョコレートが好きで、いつもキーボードの上にチョコが置いてあった。そのチョコをライヴをやりながらポリポリ食べて、僕はウィスキーをグビグビ飲んでいた。
温和で、優しくて、音楽には緻密で自分の美意識がはっきりしたミュージシャンだった。
今更という気もしますが、もし佐藤さんのことを知りたい方がいたら、こちらのオフィシャル・サイトを訪ねてみてください。http://www.hiroshi-sato.com
佐藤さん、ありがとうございました。佐藤さんのアルバムに詞を書かせてもらったことは、私の誇りです。
僕が天国に行けたら、また会いましょう。

追伸ー佐藤さんの家にいた二匹のワンコ、HAPPYとLUCKYはどうしているのでしょう。

RHYTHM & DRUMS MAGAZINE FESTIVAL2012

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GOOD NEWS!!!
我blues.the-butcher-590213のドラム、沼澤くんと彼の師のひとりであるジェイムズ・ギャドソンとのツイン・ドラムの夢の共演が10月に実現することとなった。そして、翌日にはblues.the-butcher-590213も・・・・・。

常々、ギター・マガジンよりリズム&ドラムス・マガジンを愛読している私だが、そのリズム&ドラムス・マガジン誌が主催し今年で3回目になる「RHYTHM & DRUMS MAGAZINE FESTIVAL」の今回のメイン・イベントがその「JAMES GADSON&沼澤尚」だ。
ドラマーだけでなく、すべてのビート・ミュージックを愛する人たちに、私たちの体が思わず動いてしまうグルーヴの秘密を解き明かすこのイベントに参加してもらいたい。マービン・ゲイ、マイケル・ジャクソン、ビル・ウィザースなど数知れないミュージシャンの名曲の録音に参加してきたギャドソンのグルーヴのマジックを、その場でギャドソン本人と沼澤くんが叩きそして話してくれる。ドラム好きの私にとっては、もういまからぼーっとするような貴重なイベントだ。いや、グルーヴなくしてあり得ない私たちが愛する音楽の本質により近づくためにも、たくさんの方の来訪を待っています。

"NO ROOTS,NO GROOVE"
RHYTHM & DRUMS MAGAZINE FESTIVAL2012 AT DIFFER ARIAKE

10/13 19:00 「JAMES GADSON&沼澤尚」 with 西滝太on keyboard/mix engineer 内田直之

10/14 13:00 blues.the-butcher-590213(永井ホトケ隆+沼澤尚+中條卓+KOTEZ), 沼澤尚&森俊之 as DEEP COVER (VJ-DEAD BOYS/mix engineer 内田直之)

OPEN 12:30 START 13:00 at DIFFER有明

詳細はこちら→http://www.rittor-music.co.jp/dmf/  こちらもどうぞ→http://kyodotokyo.com/dmf2012

ブラックボーイ/ある幼少期の記録 上下巻(リチャード・ライト作 野崎孝訳 岩波文庫)

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再び読みながら何度も胸が塞がれる思いがした。
小説だが、著者リチャード・ライトの少年期の自伝に近いもので、アメリカ南部に黒人として生まれた著者が貧困と激しい人種差別の中で苦悩し葛藤し衝突し、日銭を稼ぎながら学び、やがて文学に自分の解放をみつけ北部へ旅立つまでを描いたもの。
少し前に白人女性の立場から南部の人種差別について書かれた"HELP"を取り上げたが、やはりというか当然だが、黒人の側から書かれた本書は遥かに重苦しく悲しい。
それにしても白人がもっている人種の優位感覚というのはいったい何なんだろう。
根拠なきその感覚が本当にわからない。ここまで、自分と違う人種を差別し蔑視し痛めつける白人の心の根にあるものが何なのか知りたい。(もちろん、すべての白人がそうだと言っているわけではない)
白人が黒人をまるで犬のように、動物のようにしか思っていない場面がいくつもあるのだが、それは狂気でありまるで白い悪魔だ。
その強烈な差別の中でプライドをなくし白人に卑屈になっていく大人を見て、歪んでいく主人公の黒人少年の心。宗教(教会)に逃げて死後の世界に幸せがあるとする親戚や友人に、生きているうちに幸せがなくてなにがキリストだと反発する彼。
共感すると同時にそこからの脱出への方法がなかなか見えないストーリーに読んでいて気持ちが重くなる。
食べるもの、着るもの・・・生活のすべてがあまりに貧しく、ひとつの光も見えないような毎日の中で次第に自分の道を見つけ出し、志をもって生きて行くこの主人公の強靭さに胸が打たれる。
最後にこう書かれている「人生は屈辱をなめずに生きられるはずのものであり、他人の人格はおかすべからざるものであり、人間は他人に面と向かっても恐怖や羞恥を感じる必要がなく、もしも地上の生活で幸運に恵まれたならば、この星の下でなめてきたあがきと苦しみをつぐなってくれる何らかの意味をかちとることができるかも知れないのだ・・・・・」
北部に向かっていく主人公の最後の言葉だ。
信じられない劣悪な環境で生きてきた黒人少年が、これからの不安の中それでもこういう気持ちを持って歩いていくその強さがとても美しい。

ブルーズはじめソウル、ジャズ、ファンクなど素晴らしい黒人音楽が生まれてきた後ろで、たくさんのこういう理不尽な、悲惨な差別と貧困が続いてきたことを知っておいてもいいと思う。
他にもたくさん素晴らしいアメリカ黒人文学があるので、またここに書いてみたい。

「ヘルプ」(原題:The Help 著者:Kathryn Stockett 訳:栗原百代  集英社文庫 上下巻)

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先日(4/28)の大阪の「ブルーズ講座」でも来てくださった方にプレゼントに出した本です。映画化(邦題:ヘルプ 心がつなぐストーリー)もされてすでに公開されたのでご覧なった方もいるでしょう。
私はまだ映画は観ていないのですが、原作の本、上下巻を一気に読みました。

舞台は1960年代の南部ミシシッピー。作家志望の白人女性が自分を幼い時に育ててくれたヘルプ(黒人メイド)のことを想い出し、そこからずっと変わらない人種の差別に着目しヘルブたちの証言、告白を本に書き上げていくといったストーリー。
この小説でも書かれているが南部の白人上流階級の子供というのは、ほとんど黒人のメイドによって育てられる。白人の母親たちがパーティやお茶会に忙しいからだ。中には泣いている自分の子供をなだめる術さえ知らないで、メイドになんとかして・・と預けてしまう白人の母親もいる。そんな中で幼い白人の子供は実の母よりもメイドの方になついてしまうことも多い。当たり前のことだが、白人であろうが、黒人であろうが、幼い子供に人種の意識などない。それが中学、高校、大学と行くにつれて、親、学校、友人たちに根拠もない白人の優位の意識を自分の中に作られていく。
しかし、この小説の主人公は幼い頃に、いろんなことを教えながら自分の面倒をみてくれたメイドのことを懐かしく想い出し、そして南部でのいつまでもなくならない人種差別について考え始める。そして、メイドたちをインタビューしてそれを本にして世の中に人種差別について問題提起しょうとする。
しかし、60年代の南部はまだ黒人が白人と同席することさえ白人社会では許されない時代。
こういう本を書くこと自体に危険を伴うほど、差別主義者が横行している時代。
黒人のメイドたちもインタビューを受けることでメイドの仕事がなくなったり、白人にリンチを受けるのでは・・と最初ははばかるが、最後にはこの白人女性の強い思いに心を許して互いに本をつくることに向かっていく・・・。
あとは、読んでみてください。

60年代、公民権運動が盛り上がり、キング牧師やマルカムXが登場した時代の南部の様子が垣間みられる。黒人の側から書けばまた違うニュアンスになることもたくさんあると思うが、それでも60年代のアメリカの人種差別の様子について知る事がたくさんある本だ。ここからアフリカン・アメリカンの文学に入り込む人もいるのではないかと思う。
そして、こういう人種差別の話は、読む自分自身の中へ差別意識の有無を問う事になる。それがかなり大切なことだと思う。
とても興味深く、構成やストーリーの流れもよくてあっと言う間に2巻を読んでしまった。映画も観てみたい。
そして、最近またリチャード・ライトの「ブラック・ボーイ」を読み直している。
2012年 5月8日 記

「近藤房之助、オーティス・ラッシュを歌う」

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房之助とはかれこれ40年近いつきあいになる。
悪いこともいいことも(いいことはしてないか・・・)して、ああだこうだ、なんだかんだ言いながら長い時間を一緒に過ごしてきた朋友だ。
私にとっては面白い奴で、くだらないことを言いながら一緒に酒を飲む相手としてのランクはかなり高い。そういう時は滅多に音楽の話はしない。何を話しているかって?それは言えない。
まあ、果てしなくくだらないことだ。
でも、一度房之助がやっている下北沢の「STOMP」でお客がずっと来ないで、ふたりで飲んでいる時にあれやこれやレコードを引っぱり出して聴いていた時のことだ。
オーティス・レディングのモンタレーのライヴを聴いて、ふたりで盛り上がったあとにO.V.ライトの来日盤を聴いた。それを聞き終わったあと、あまりのO.V.の凄さに気を抜き取られたようにふたりともなってしまい、「これ聴いちゃうと、この後聴くものがなくなるなぁ・・・」と房之助が言った。同感だ。魂をわしづかみにされたような、そんな気分だった。
それからしばらく経ってから「ラッシュ聴こう、ラッシュ」と私が言って、コブラのラッシュを聴いたのを覚えている。そしたら、今度はラッシュに気を抜き取られたしまったのだが・・・。

その房之助にとって若い頃、O.V.と同じくらい魂をしっかりつかまれたのがオーティス・ラッシュ。
オーティス・ラッシュは彼のブルーズの、彼の音楽の根幹となっているものだ。
たぶん、オーティス・ラッシュのブルーズにある内省的なところが彼は好きなんだと思う。
その割には自分の生活には内省的なところがなく、同じようなバカなことを何回もする奴だが・・・まあ、それはオレも言えないか。
とにかくラッシュをこよなく愛し、ラッシュのブルーズを日本でいちばん表現できる房之助にラッシュの曲を歌ってもらいたくて、今回のblues.the-butcher-590213+近藤房之助のライヴはタイトルを"I Can't Quit You Baby"とした。ラッシュをたくさん歌ってもらう。
是非、来週月曜日(2/27)元住吉POWRES2へ!!!

 Dr.John&The Lower911 At Billboard Tokyo Feb 15,2012

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前日、観に行った沼澤くんから「素晴らしい」とのメールが届き、ツアー戻りで疲れていたがドクターを聴きに行くことにした。

メンバーはDr.John(Piano,Organ,Vo)+John Fohl(G)+David Barard(B)+Raymond Weber(Dr)の4人。

ステージが始まる直前に流れていたのが、先頃亡くなったエタ・ジェイムズの"Tell Mama"だった。それを聴きながら、僕はエタとドクターがからんだ"I'd Rather Go Blind"のTV映像を想い出していた。あれ、よかったなぁ。

当日買った僕の2階席からは、ドクターはピアノに向かっているためほとんどドクターの背中しか見えないが(反対側にセットされているオルガンを弾く時はお顔が拝見できたが表情までよくわからない)、上からなのでレイモンド・ウェバーのドラムワークがすごくよく見える。

レイモンドはニューオリンズに行く度にどこかのクラブや、フェスティバルでよく観たが相変わらずグルーヴィーでキレもコクもある。前日届いた沼澤くんのメールには「ドラム・ソロで踊らされたのは初めてかも」と書いてあった。もう文句なしにどんな曲をやっても素晴らしい。しかも、ずっと観ていると所々に入れる細かいロールや、繊細なシンバルワークがそれぞれの曲に豊かな表現を与えている。美しいドラミングだった。

ギターのジョン・フォールは僕の席からは反対側だけど、リズム・カッティングのシャープで気持ちいい音が聞こえてくる。ソロもひとつひとつの音が明確で、もちろんブルージーで、スピード感もあり、ときおり「イナタイ」・・好みのタイプだ。ドクターの音楽にはぴったりのギタリスト。

ベースのバーナード・バラードはもうかなり前からドクターとやっていてアルバムにも多く参加している。ファンクものからブルーズ、ジャズ系のものまで弾きこなす安定感のあるいいベーシストで、この人もドクターの音楽に合っているミュージシャンだ。

ドクターはいろんな顔を持っていて、もちろんニューオリンズ・ミュージックの大御所であり、デューク・エリントンのトリビュート・アルバムを出すジャズ・テイスト・ドクターもいる。そして、かってはサイケデリック・ドクターだったこともあるし、ファンクなドクターでもある。
本当にもう何枚アルバムを出したのだろう・・・・演奏される様々な曲を聴きながら、その大きな背中を見ながらドクターの長い音楽生活に思いを馳せた。
新しい"Keep On Going"などもやってくれましたが、名盤"Gumbo"からの"Blow Wind Blow"や"Mess Around"は嬉しかった。あのアルバムが僕にとっては初ドクターだったから。でも、格別嬉しかったのはドクターがギターを弾いたアール・キングの"Come On"をやってくれたことだった。
なんとも味のあるドクターのギターに盛り上がっていたら、隣りにいた興奮した見知らぬ若い男に「ギター、ヤバいっすね。ヤバいっすね」と話しかけられた。思わず「ヤバイね」と言ってしまった。
"Basin Street Blues"や"Right Place, Wrong Time"なども挟んで、本当に充実したそして幸せな1時間20分だった。

大好きなドクターの"Such A Night"は聴けなかったが、気分がよかったので自分で"Such A Night♪It's Such A Night♪ Sweet Confusion Under The Moonlight〜"と口づさみながら六本木から乃木坂まで歩いた。ドクターの音楽とワインで楽しくて疲れはどこかに消えてしまった。
月いちでビルボードでやってくれないかなぁ・・・・・ドクター。

Etta James Last Album "The Dreamer"

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Etta James   "The Dreamer"(Verve Forecast 0602527831893)
去年の11月にエタ・ジェイムズのニュー・アルバムがリリースされ、それがどうも彼女の最後のアルバムになるらしいという記事が雑誌に出た。それはどうも本当らしい。アメリカのネットを検索しても落ち込んでしまうような情報ばかり目に入ってくる。何年も前から彼女がいくつもの病に冒されているという話は聞いていたが、これが最後か・・・。
現在74才になる彼女は10代の初めから歌っているから60年近く、レコーディング・キャリアだけでも55年は歌い続けていることになる。黒人音楽の歴史に残してきた功績を考えても、もう引退しても誰も文句はいわないだろう。しかし、最後だと言われるこのアルバムを聴いてもまだ彼女は歌える。
もちろん、全盛期のような聴く者を完膚無きにまでに圧倒するあのエナジーはない。往年なら龍のようにさあ〜っと高音域に上りつめて、しばらくハイ・テンションをキープして聴く者を離さなかったが、もう彼女はそのテンションには行けない。上りつめていく声は出ない。年老いたのだ。
かと言って、歌唱の技巧でそれっぽく歌おうとはしない。年老いた歌手としての自分を充分に知った上での歌がここにある。ひとつひとつの歌を丁寧に、慈しむように歌うエタ・ジェイムズがいる。彼女のリアルな誠実な歌声が私の耳に届いてくる。
ドロシー・ムーアの有名曲"Misty Blue"、オーティス・レディングの"Cigarretes & Coffee"、リトル・ミルトンの"Let Me Down Easy"などは、無理にテンションを上げないでじっくりと繊細に歌う彼女の中低域の歌声が、歌に深い説得力を持たせている。
そして、彼女がこのアルバムについて「すべての曲がブルーズ」と言っているように、その奥底に流れているディープなブルーズ・フィーリング。この感覚こそ彼女の持ち味だ。

最後だと思って聴いていると、いままで彼女のアルバムや映像が想い出され、そして私にとっては1975年のロスのクラブ「ライトハウス」での素晴らしいライヴが心に浮かび落涙しそうになる。

老いていくシンガーの美しい歌を聴き、老いていくシンガーの美しい姿を見せてもらった。
でも、これで終わりにはしたくないので「おつかれさま」とは言いたくない。
もう一枚、さらにもう一枚、エタ・ジェイムズがアルバムを届けてくれる日を待ち続けたい。

ORIGINAL FOLK BLUES-SMOKEY HOGG (KENT RECORDS KST 524)

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世の中には約束事というのがあり、何人かの人間が共同でひとつ事を成し遂げるにはみんなが約束事を守らないと成果は上がらない。
ブルーズを何人かで演奏する場合、一般的なブルーズの定型のパターン(1コーラス12小節、3コード)というので演奏されることが多い。決められた小節数でコード・チェンジすることが約束事だ。
しかし、ライトニン・ホプキンス、ジョン・リー・フッカーといったカントリー・ブルーズマンの場合、ひとりの弾き語りで演奏することから始まっているのでコード・チェンジは気ままにチェンジされてしまうことが多々ある。すると、バンドはパニックとまでは言わないが、戸惑い状態になる。
結局、歌っている御大に合わせるしかないのだが、音楽にやたら整合性を求める人にとってはこの混乱がこの上なく気持ち悪いらしい。でも、私は長い歳月、そういうぐしゃとしたブルーズを聴いているので、いまはさしてその事が気にならなくなってしまった。慣れは恐ろしい。
このテキサスのカントリー・ブルーズマン、スモーキー・ホグのアルバムにもライトニン、ジョン・リー同様の小節数、コードのズレが多々あるのだが、なんとなくバックのピアノやベースがうまくフォローしている。ズレる度に「おっと」と思うだけで、まったく気持ち悪さは感じない。却って面白く思ってしまう。まあ、一緒に演奏している人たちはちょっと大変だろうが・・・。かって御大ジョン・リーはこう言われた-「コードのチェンジというのは自分の気持ちがチェンジする時にするものだ」 御意!
KENTレーベルのこのレコード盤。収録されている曲はすでにCDで持っているのだが、ジャケット見ているうちに欲しくなってしまった。牛乳瓶二本とドライ・ジンの瓶一本。数多い酔いどれのブルーズマンの中でも有名な酔いどれホグ。ジンを飲み過ぎた翌朝は牛乳を飲んでいたということか・・・。それとも飲む前に牛乳を飲んで胃を保護しろよということか。コンセプトがよくわからんジャケット写真だが、なんとなくいい感じではないか。ライトニンほど有名ではないが、テキサスの男っぽいカラッとしたブルーズを聴かせてくれる。中身もいい感じだ。

My Great Treasures

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2.My Great Treasures
2011年はいろんな方から貴重なアルバム、音源などをいただいた年だった。オフィシャルなものからブートレッグの珍しいものまでアナログ・レコード、CDと自分にとってはこの上ない宝物で大切に聴かせてもらっている。本当にありがたい。
房之助にもらったトゥセイン・マッコールのアルバムが今年の最後かと思っていたら、千葉の染織家のKさんから分厚いボブ・マーリーの本"Marley Legend"が届いた。ボブ・マーリーの生涯を綴った長い文と珍しい写真、それにポスターやコンサート・チケット、バックステージのパス、ステージのセッティング図、ツアーのスケジュールリストなどの付録にわくわくさせられたが、いちばん見入ってしまったのは、ボブ・マーリーが書いた自筆歌詞のコピーだ。とくに"Turn Your Lights Down Low"は大好きな曲なのですごくうれしかった。一時期レゲエもいろいろ聴いたが、私にとってレゲエはやはりボブ・マーリーだ。本のページーを繰りながら、冬の午後、窓から差してくる陽射しにまどろんで"Exodus"を聴く。いい師走だ。

「秋の夜に大人の女の歌とギター」/Bonnie Raitt Live In Germany 1992(IMMORTAL IMM940230)

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ボニー・レイットの1992年のドイツでのライヴDVD。
会場はそれほど大きくない。大袈裟な演出も最近流行りのサプライズとやらもなく、派手なアクションや見せびらかしのテクニック披露もしない、さりげなく深い演奏が淡々と続いていく。
1989年に"Nick Of Time"が大ヒットしてから3年後のライヴなので"Nick Of Time"の曲を中心にしたライヴだ。こうしてライヴで聴いてもあのアルバムはいい曲揃いだった。
4曲目に歌われる"I Can't Make You Love Me"・・・・その辺の小娘には出せない、揺るぎない生き方をした大人の女性しか出せない情感。さらりとした表現だが奥は深い。「ああ、いい声だなぁ・・いい女だなぁ・・・」と聞き惚れ、見とれてしまった。

6曲目の"Kokomo"ブルーズの師匠であり、スライドの師匠であるフレッド・マクダウエルの曲。身に染み付いたブルーズ・フィーリングがじわっと出てくる。若い頃に培ったブルーズを柱とした彼女の音楽性がしっかり根ざしているのがわかる。
自分の声がブルーズ向きでないとインタビューで言ってましたが、いやいやそんなことはないです。とてもブルージーですよ、ボニーさん。がなるように、やたらパワフルさを強調して歌うだけがブルーズ・シンギングではないと思います。
スライド・ギターに至ってはもう、他の誰も弾けない、彼女しか弾けないフィールドを作ってしまってます。

そして、オリジナルをやっても、ブルーズのカヴァー曲をやっても差がない、違和感がないのはやはり自分のルーツを忘れてないからでしょう。
彼女の歌を自然に支えるバンドもすごくいいです。
"Nick Of Time"が大ヒットしたあと来日した時のステージで、「自分のバンドでまた日本に来れてよかった」と嬉しそうに語った彼女。一時はバンドがなくてひとりでコーヒー・ハウス、小さなクラブを転々と旅していた。
ブロードウェイのスターである父親をもつお嬢さんなのに、高校生でブルーズ好きになってしまってフレッド・マクダウエルに弟子入り状態になってしまったヒップな女性。
なかなかヒットに恵まれず大ヒットは"Nick Of Time"まで待たなければならなかった。
でも、陽が当たっても雨に打たれてもずっとギター片手に旅してきた筋金入りです。

来日して欲しい女性シンガーのNo.1!
そして、一生ないだろうけど・・・・・、一緒に酒を飲みたい女性シンガーNo.1!
さぁ、もう1回見るか。