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萩原兼任さん

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萩原兼任さん
1月21日、名古屋のブルース&ソウル・バー"OTIS"のオーナー萩原さんが亡くなられた。
享年65才。ここ数年、病を患っておられたが本当に残念だ。
萩原さんとは70年代最初の頃からの知り合いで長いおつきあいでした。

70年代の最初、萩原さんは名古屋でブルーズの飲み屋「オープン・ハウス」を開店されていた。
結成したばかりの僕の「ウエスト・ロード・ブルーズバンド」をライヴに呼んで下さったのは72年だったと思う。たぶんそれが最初の出会いではなかっただろうか。
その時、アンプや機材の用意をしてライヴを仕切ってくれたのが当時「オープン・ハウス」の従業員だった近藤房之助だった。
とにかく、房之助はじめブルーズに興味をもった若者たちが「オープン・ハウス」にたむろしており、誰が従業員で誰が客なのかよくわからなかった。
その「オープン・ハウス」では何度もライヴをやらせていただいただけでなく、萩原さんにブルーズのレコードのこともいろいろと教えてもらった。
現在今池のライヴハウス「TOKUZO」のオーナー森田くんも「オープン・ハウス」で働いていたし、名古屋在住の木下くん、横山くんなどミュージシャンだけでなく名古屋近辺でブルーズやソウルを好きな人たちはみんな「オープン・ハウス」に入り浸っていた。そして、萩原さんのお世話になった。
つまり、「オープン・ハウス」がなければ現在の自分がない人たちがたくさんいる。
「オープン・ハウス」が閉店して、現在の"OTIS"を始められて・・・いや「オープン・ハウス」をやっている頃から"OTIS"は始まったのか・・記憶が定かでないが、ずっとブルーズやソウルを愛して店を続けてきた人だ。
その萩原さんの暖かい人柄に心休まるひとときを"OTIS"で過ごした方もたくさんいると思う。
ジュークボックスから流れてくるブルースやソウルを聴きながら、ウィスキーを飲み音楽をはじめいろいろな話をした。しかし、ときに音楽には歯に衣を着せず鋭い意見を言う人でもあった。

"OTIS"でも何度か木下くんとのデュオ・ライヴをやってきた。
そして、いつも酔っぱらった私が帰るときには店の外まで見送ってくれる萩原さんだった。
そろそろ、また"OTIS"で木下くんとライヴをやろうかと思っていた矢先の訃報だった。
葬儀に集まった人たちの中には久しぶりに会った人もたくさんいた。萩原さんが会わせてくれた人たちだ。
あまりに久しぶりですぐには名前を思い出せない人もいた。
そういうみんなを見ていて月日の流れの早さと、それぞれの過ごしてきた時間を思った。
私も年をとったが、最初会った頃はまだ10代だった森田くんや横山くんの頭にも白髪が目立っている。
もうそこにはいないすでに他界した友人、知人のことも思った。
葬儀が終わって「どうしょうか」と言ってる間にぞろぞろとビールが飲める店に移動することが決まった。
昼間からみんな酔って、たくさん話をして、笑ってとてもいい時間を過ごした。
それも萩原さんのおかげだ。
あっという間に陽が暮れて、私は新幹線に乗るために先に失礼した。

出棺の時にオーティス・レディングの"The Dock Of The Bay"が流れ、誰かが「あっ、オーティスだ」と言った。
そのオーティスが流れる、オーティスの歌を愛したマスター萩原さんの店"OTIS"はこれからも続く。
是非、名古屋行かれることがあったら行ってジューク・ボックスの素晴らしい音楽を聞きながらお酒を飲んでください。
素敵なお店です。OTIS→http://sinsakaeotis.jimdo.com/

萩原さん、本当にありがとうございました。お疲れさまでした。
また、"OTIS"で歌います。

上の写真は葬儀でも配られていた数年前に作られた萩原さんのお面です。本当はもうすこしいい男だったかな・・・・。
2011年1月24日