6/10(金)
13時前の新幹線で出発。仙台に向かう。空はどんより曇り空。
仙台駅で遠く青森弘前から来てくれたFM・Apple Waveの徳差君と合流。
徳差君の車で僕の番組「BLUES POWER」がOn Airされている仙台のコミュニティFM「Radio3」に向かう。
震災で仙台駅の外壁が崩れたらしく補修しているところだったが、車から見る仙台の都心部の街並はあまり変わっていないように見える。
「Radio3」の世ノ介さんという方がDJをしている番組に出させていただき、"Mojo Boogie"をOn Airしていただき明日の石巻のイベントの告知もしていただいた。
そして、収録後石巻に車で向う。
あまり変わっていないと思っていた風景は仙台空港あたりに近づくと一変する。瓦礫が積まれている意外は津波に襲われて何もない。まだ冠水もしている。このあたりを襲った津波の映像はニュースで何度も見たが、本当になんにもない。
更に北へ向かう。
塩釜を経由して松島あたりを通った時、亡き浅野君と一緒に行った瑞巌寺という立派なお寺のことを想い出した。あのお寺は大丈夫だったのだろうか。
走っていた国道が石巻市内に入ったが、所々壁の崩れた家が見られるもののそれほどひどい被害は見受けられない。
石巻の駅まで徳差君に送っていただき、そこでいつも世話になっているシャンブルのギタリスト、フミトと待ち合わせをした。
震災後、ずっとメールや電話では連絡を取り合っていたがやはり元気な姿を見ると感無量だ。抱き合い体を叩きあった。
その石巻駅で車を乗り換える時に気づいたのが異臭がすることだった。風の向きや場所にもよるけどかなり異臭が漂うようになってきたとフミトが言う。
そして、車で石巻の街を回ってくれた。
信号がまだ復活していない。それでも僕がテレビのニュースなどから予想していたよりも瓦礫の片付けなどが進んでいるように思える。
それもここ2週間ばかりで地元の人たちががんばったからだそうだ。
ところが・・・・海に近くなっていくと道路1本を隔てて様相はがらりと変わる。
漁師さんたちの馴染みの美味しい食堂や知り合いの「木の屋石巻水産」があった魚町、門脇町、南浜町一帯はもうどこに何があったのかもわからないほどの壊滅状態だ。黒と灰色だけのその風景をずっと見ていると、気持ちの張りや心の潤いといったものがなくなってしまう。殺伐とした様相だ。呆然としてしまう。
地震と津波に襲われた時のことをフミトは「最初、2階から1階に落とされたような地震が来て、揺れが収まると足元にやってきた水がだんだん増えてきて津波が来るなと思ったら、海の方からバリバリバリバリっていう音と一緒に真っ黒な水が押し寄せてくるのが見えた。もうこの世の終わりかと思った」と振り返った。
その壊滅した地域に彼はいたのだが、バイクに乗っていた彼は急いで高台の方に逃げて助かった。その途中すでに信号が壊れて車の渋滞が始まり、津波が迫ってきているのに車から逃げれなかった人たちもたくさんいたという。幸い、フミトは子供も奥さんも無事だった。
夜、SADIというお店でフミトと飲んでいると石巻の友人たちが集まってきた。ベースのジュン、ドコモのマーボさん、ラストラーダの和田さん、木の屋石巻水産のタカユキさん・・・みんな生きていてよかった。みんな、フミトと同じで紙一重で助かっている。そして、みんなから震災の日の話や、避難所での生活、行政や政府の対応のまずさ、石巻のすぐ近くにある女川町の原発のことなどを聞いた。
その中でも腹立たしかったのは義援金がまだ彼らの手元に届いてないことだった。僕もわずかながら日赤を通して寄付させていただいたが、お金に困っている彼らのところに3ヶ月も前の義援金が届いてないとはどういうことだ。瓦礫の撤去から義援金まで行政と公的機関の対応のにぶさには驚くばかりだ。
その飲んでいる間に余震があった。もう、みんな慣れっこになっているのか「お、地震だ」と言ったのは僕だけだった。
その夜と翌日泊まったのは仲間の川尻さんが手配してくれた「マイルーム桂」というビジネスホテルだった。
夜中に東京を出発した沼澤君や佐藤タイジくんたちが朝方到着した音に目が覚めた。
6/11(土)
朝早く起きてシャワーを浴びた後、食堂でホテルのご夫妻と少し話をした。旦那さんは震災直後の津波、水の恐ろしさと冠水した町に浮かぶ遺体を地域の人たちと引き上げた大変な話をされた。奥様は避難所でカンパンと水をみんなで分け合ったことや、雪の降った寒い震災の日のことを想い出され、でも人の親切がとてもありがたかったと言われた。いま、このビジネスホテルに泊まっているのは関東、北海道、東北の他の町からやってきている復興の作業するための長期滞在の人たちだそうだ。みなさん、本当によくやっていただいてますとふたりは言われた。
お昼に写真家の菅原さんと青森博報堂の中野渡さんがホテルに迎えに来てくれて石巻の「FMラジオ石巻」へ向かう。この「FMラジオ石巻」でも僕の番組「BLUES POWER」のOn Airが始まっている。
出演させていただいた番組のアナウンサー武山さんはすごく感じのいい女性でした。石巻と僕とのつながりや、震災後の石巻について質問を受けた。そして、今夜のイベントの告知をさせていただいた。後から聞けば、武山さんもご自宅が津波で流されたそうだ。でも、武山さんはじめラジオ石巻のみなさんはすごくがんばって放送を続けている。
ラジオ石巻出演後、震災の一週間前ブルーズ・ザ・ブッチャーで演奏させてもらった「ゼカナ」のあった中瀬へ向かった。「ゼカナ」は旧北上川の河口からしばらく入ったところの中洲にあった。この中洲のあたりは中瀬と呼ばれている。
しかし、石ノ森萬画館は残っているが、「ゼカナ」が一体どこにあったのか・・・見る影もない。あたりは津波でほとんど流され、残っているのは瓦礫だけだ。川の水位が上がったようにみえるのは地盤が沈下したからだそうだ。
ぼぉ〜っとあたりの光景を見ている時に、ちょうど三ヶ月前の地震が起こった時間(3月11日14時46分)になったので黙祷した。そして、亡くなられた「ゼカナ」のオーナー遠藤さんに感謝した。「ゼカナ」・・・・素敵なスペースだった。
これから、ここの光景はどうなっていくんだろう。
いまはほとんどがなにもなくなり瓦礫が散乱している。それでも、川と小高い山と青い空がつくる風景は充分に素晴らしい。やはり、いいところだ。
今回のイベント「石巻祭り Soul To Soul」はかろうじてビルが残った「ラストラーダ」で行われた。最初、テレビニュースの画面で見た時はビルに船が突き刺さっていたが、いまは船も撤去されて中にPAと楽器を持ち込んでなんとか今日の開催となった。
ビルのすぐ横では仙台から来たメイちゃんを中心にズーズー・シスターズのみんなが炊き出しを始めていた。女川町にいて自宅を流されたミータンとは、ずっとメールで連絡を取り合っていたが久しぶりにその元気な笑顔をみることが出来た。アリコも会長もみんな生きててよかった。
タケトくんは石巻から仙台に移り住み仕事を始めている。家がなくなったミータンは故郷を離れて埼玉に住む事になるという。メイちゃんの仙台の家(実家は賣茶翁(ばいさおう)という和菓子の老舗をやっている)も地震の被害を受けている。みんな、これからの新しい生活を始めなければいけない。でも、今日はライヴで目一杯楽しみましょう。
夕刻、フミトの"Shamble"から演奏が始まった。そこにズーズーが加わっていつものソウル・ナンバーを歌っていく。いつものステージと違うのは衣装がなくて彼女たちが普段の服装なことだ。
ミータンは歌いながらずっと涙を流している。聴いている人たちにも泣いている人が何人もいる。
みんなと歌える幸せを感じながらも震災での悲しみや辛さがなくなるわけではない。でも、仲間がいて音楽があることがミータンだけでなくみんなの気持ちを支えている。
そこに震災以後、仲間だけでなく石巻の人たちを助け復興に尽力されている川尻さんが、チトリン・サーキットのサザン・ソウル・シンガーのような出で立ちで加わって歌う。武骨だけどいい歌だ。
そして、一段落つくと辻くんのパーカッションが始まった。僕は至近距離で観させてもらったが、渾身の素晴らしいプレイだった。
佐藤タイジ君はバス・ドラを踏みながらの弾き語りワンマン・バンド・スタイルだ。途中から中條くんと沼澤くんが加わってシアター・スタイルに・・・楽しいライヴだった。
僕たち、ブルーズ・ザ・ブッチャーはいつもと同じようにブルーズをドカドカとやった。だんだん、みんなが盛り上がってきて総立ちになり、最後はフミトはじめ出演者みんなが加わって"The Blues Is Alright"の大合唱で終わった。
すべてが素晴らしかった。そこにいたミュージシャンも聴きにきてくださったみなさんも、音楽もすべてがパワーにあふれヒューマンでした。
復興にはまだまだ遠い中、このイベントを企画したフミトはじめ石巻の仲間に感謝します。
僕たちが彼らにパワーを持っていったはずなのに、逆にもっとすごいパワーを石巻のみんなからもらったイベントでした。
同じ年の和田〜、泣くなよな。
終わってから川尻さん主催の打ち上げまでしていただいてありがとうございます。
久しぶりにみんなで飲む酒もまた格別でした。本当にいい夜でした。
地震と津波に襲われた石巻のあの悲惨な状況を見て「がんばれ」なんてとても言えませんでした。
いや、「がんばれ」なんて言われるまでもなく彼らは目一杯がんばっているし、「ひとつになろう」なんて言われなくても彼らはひとつになっている。
自分の家族、親族、友達、同僚、仲間を失う。自分の体以外のものをすべて失う。自分の住んでいた家を失う。・・・どんな気持ちだろう。
故郷を離れて埼玉に住むミータンは故郷女川を離れるときに「瓦礫だけの町になってしまったけれど、でも、やっぱり故郷がいい。いつか帰ってきたい」とメールをくれました。本当に早くそうなれることを祈ってます。
また、僕らが何かの力になれるならいつでも連絡ください。
みんな、ありがとう!また、会いましょう!
Hey!Hey!The Blues Is Alright! And We Are Alright! Alright!Alright!
☆PHOTO DIARYにも後にこの日の写真をアップします。