明日8/1代官山『山羊に聞く?』のブルーズ講座でロバート・ジョンソンの話をするのに、ここ数日ジョンソンを聴きっぱなしだ。取り憑かれたか。
生涯に残した29曲を聴きながら、彼が生まれ育ったミシシッピー、ヘーゼルハーストからブルーズを歌いながら放浪した街を地図で辿り、当時のアフリカン・アメリカンの生活状況やアメリカの政治社会情勢を調べていくと、ジョンソンだけでなく名もなく貧しくその生涯を終えていった多くのアフリカンアメリカンのことが浮かび上がってくる。
そこには私達と同じように初恋や恋愛そして結婚、不倫があり、厳しい生活や将来への不安があり、両親、友、死、束の間の享楽や落胆などがある。
そして、彼らの精神形成を決定づけた人種の差別とそれに伴う貧困。
つい先日、ステージを見たボビー・ラッシュやシル・ジョンソンにまでつながっているブルーズという音楽の根底にある精神は、探っても探っても答は複雑でさまようばかりだ。それを日本人である自分に落とし込んで考え始めると増々迷路から出れなくなってしまう。
苦渋に満ちて、泥まみれのようにも見えるジョンソンの人生から美しい詞が生まれてくる。呻いたあとに恋人の名前を歌うとき、それだけで胸がしめつけられる。不平や不満や嘆きが暴力的に投げやりに歌われる恐ろしいような瞬間にははっとする。ジョンソンのあの押さえ込まれた気持ちがムクムクと堰を切って出てくるような歌唱は誰にも出来ない。
卓越したギターテクニックで奏でられる音の中にジョンソンの歌声がこの暑い夏の日、私の部屋にうずくまっている。