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あと1週間

September 27.2011
渋谷P-Vine Recordsにてタカちゃん(沼澤尚)、ウッチー(内田直之)とblues&soul誌の座談。新しいアルバム・リリースに向けての話だったが、ウッチーからはサウンドに対する深い考察を聞かせてもらい、タカちゃんからはいろんなドラマーの音の出し方の妙を教えてもらった。どのくらい掲載されるかわからないが、次号のblues&soul誌をお楽しみに。僕?僕はただ茶茶入れてました。お茶は入れてません。
それで担当の井村くんから出来上がった新しいアルバム・サンプルをいただきました。思わずニンマリ。10/5の発売まであと一週間ほどですが、たくさんの方に聴いていただきたい。10/21のJIROKICHIでのリリース・ライヴでもアルバムを販売しますが、それ以前にレコード店で買われた方にもサインしますので10/21当日アルバムを持ってライヴにお越しください。

いまも変わらず素晴らしいビル・ウィザース

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Still Bill/Bill Withers(docuramafilms DVD)

涙ものの映像だった。80年代半ばからミュージック・シーンの表舞台からほぼ引退しているようなビル・ウィザースのDVDだ。なかなか日本で入手できなかったので、先日日本に帰ってきた山岸におみやげに持ってきてもらった。

素晴らしいシンガー&ソングライターであるビル・ウィザースを知ったのは、初めてアメリカへ行った70年代半ばだった。ラジオからクール&ザ・ギャングやオージェイズに混じって、彼の"Lean On Me"や"Use Me"が時折流れてきた。ストレートで飾り気のない実直な歌声は、きらびやかな曲が続くソウル・ステーションの中でやたら心に残った。曲も詞も歌もサウンドも大袈裟なところがひとつもなく、ゴスペルやブルーズのシンプルさをどこかに持った私好みのものだった。
そして、ロスのレコード店で見つけたのが彼のカーネギー・ホールでの2枚組ライヴ盤"AT CARNEGIE HALL"だった。このアルバムは私の愛聴盤の中の愛聴盤だ。ほとんど持っている彼のアルバムの中でもいちばん好きなアルバムであり、たくさんある好きなライヴ盤の中でも5本指に入るライヴの1枚だ。ドラムのジェイムズ・ギャドソン、ベースのメルヴィン・ダンロップはじめビル・ウィザースのバックを務めるのにふさわしいクールで、グルーヴィな理解者たちに支えられてビルの歌が聴く人の心の芯にまで染み入ってくる。アルバム・ジャケットを見ると、カーネギー・ホールという大きなホールにも係らず、楽器を置いただけの簡素なステージの様子が写っている。それがすでにビル・ウィザースという人を物語っている。ステージ衣装もきらびやかなという言葉からは遠いものだ。それも彼が表現したい音楽と一致している。

思い返してみれば、日々の生活や家族や友達、そして弱者へのおもいやりを歌った彼の歌は、このDVDの中で語られる「音楽がすべてじゃないんだ」という彼の言葉と繋がっている。音楽と同じように大切なことはたくさんある・・・そう、私も思う。
元々、工場労働者だった彼が慎ましい暮らしの中から、普通の人間の視点で作ったのが彼の音楽だった。デビューが32才。最初は自分で歌うつもりではなく、誰かに歌ってもらおうとソング・ライターを目指していたという話から、派手な表舞台も元々は苦手だったのだろう。
そして、70年代の終わり頃から、ショー・ビジネスの中で強いられる自分らしくないことに彼は耐えられなかったし、逆に彼が要求していることをショー・ビジネス側は受け入れなかった。彼のような才能にあふれた人でも自分の思うようにはできないのかと少し驚いた。でも、彼は音楽を捨てたわけではなく、音楽を志している娘の録音をサポートしながら、その娘の歌声に涙してしまう。その涙は娘への想いと同時に音楽への想いだろう。
そして、子供の頃吃りだった彼は吃りの子供たちの歌声に心を揺さぶられてラウル・ミドンと録音を始める。
彼は自分の日々の暮らしの中で、そうやって音楽を続けている。
当たり前のことだが、華やかな場所にあるものだけが音楽ではない。 
華やかな場所から発せられた音楽ばかりが自分たちのところに否応なく届くような音楽シーンのシステムだが、そうではない場所で素晴らしい音楽を続けている人もたくさんいる。
ビル・ウィザースからもそういう場所からの音楽を届けてもらった気がする。

最後に晩年のコーネル・デュプリーのステージに上がり、"Grandma's Hands"を歌うシーンがある。
声は少しも衰えていなかった。変わらず誠実で温かい歌声・・・・・・いい曲・・・・涙。
彼の新しい曲を、新しいアルバムを待ちたいと思う。

是非このDVDを日本盤で出してもらってたくさんの人に観てもらいたい。

小さな一歩

September 23,2011 四谷「ブルーヒート」にてKOTEZくんとデュオ。
昔、亡き本田竹広さんと飲んでいる時に、本田さんがピアノとエレクトリック・ピアノは並んでいる音は同じでも弾く感触においてはまったく違う楽器だと言われたことがあった。アコギ(アコースティック・ギター)を手に入れてから嬉しくて毎日弾いているのだが、ふとその本田さんの言葉を想い出した。当然のことだがアコギにはアコギの深い世界がありそう簡単には使いこなせはしない。絃に触る指の感触も違うし、エレキと同じように弾いても出る音色も違う。歌っている心持ちも変わってくる。
でも、どんな音がライヴで鳴るのか、とにかくライヴで弾かないと私の場合何も始まらないので意を決して今夜はアコギ1本でやってみた。
最初、緊張して久しぶりに変な汗が出た。エレキと違って音量も音質もどんな風に客席に聞こえているのかわからず少し不安なままライヴ開始。しかし、アコギだと自然とダウンホームになるので、少し経つと演奏最中の気持ちもゆったりしていきエレキでは味わえない快感を味わった。そして、やっていくうちにダウンホームでありながらも、アグレッシヴさも持ちたいと技もないのに贅沢なことを考えだした。"Slow Down"などいい感じでやれた曲もあったが、ライトニンもジョン・リーも遥かに遠い。
ともあれ、自分としては夢みるカントリー・ブルーズマンへ小さな一歩を踏み出した夜だった。

Music Magazine 2011年10月号

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この前、ミュージック・マガジン誌から受けたインタビューが10月号に掲載されているので機会があれば読んでみてください。中村とうようさんの追悼が特集というのもなにかの縁か・・・・。ミュージック・マガジン誌を久しぶりにじっくり読んでみたが、本当に世の中には僕の知らない音楽がたくさんある。

うれしい!

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先日、聖蹟桜ヶ丘でコンサートがあった際、ギターのシュウ(上村秀右)に「この前さ、大阪でアコギ買ったんだ。66年のギブソンなんだけど・・・」と言ったら、「ええっ!買ったんですか。見たいなぁ」というのでデジカメにあった写真を見せた。
すると、「あれっ?ホトケサン、これってJ.B.ルノアーが持っていたのと同じやつじゃないですか?」
「えっ?そうかなぁ・・・・そういえば、J.B.ルノアーがアメリカン・フォーク・ブルーズ・フェスティバルの時に持っていたのに似てるなぁ」
それで、その夜、家に帰りそそくさとyoutubeで映像を確認すると・・・・・・・・・同じだ・・・・。同じ。
夜中に鳥肌。
Voodooの縁か・・・・Mojoのおかげか・・・。
もうすぐリリースされる今回のアルバム・タイトルが、J.B.ルノアーの"Voodoo Music"だし、前のアルバム・タイトルがやはりルノアーの"Mojo Boogie"だっただけに何か因縁のようなものを感じる。
とにかく、うれしい。ものすごくうれしい。
偶然、思いも寄らず、大好きな、敬愛するJ.B.ルノアーと同じギターがゲットできたことがうれしい。

やはり、亡き塩次伸二が言ったように「ギターは出会いだ」

そして、これは心してギターに、ブルーズに精進しろという天からの命令だと思うことにした。

そして、このギターを見つけてくれた大阪の森くんに感謝。今度、居酒屋おごるからね。

うれしい。

帯に短し、たすきに長し

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中古レコード屋巡りをしていて日本盤のブルーズ・アナログ・レコードを意図的に買う時がある。それは中に入っているライナー/解説がアルバムを聴く参考になることも多いし、以後アルバムを買う目安になる時もあるからだ(そうでない解説も多々あるが)。ちなみに歌詞カードは時折めちゃくちゃなのがあるのでご注意。
しかし、日本盤の左端についている帯(オビ)が僕は嫌いだ。買ったらすぐ捨てることにしている。あの帯がアルバム・ジャケットのデザインを台無しにしている。写真家やデザイナーの方がせっかく作ったジャケットをまるでぶちこわすかのようなあの帯。
ちなみに中古盤屋に売る時には帯がついている方が買い取り価格は高い。しかし、売ることを考えてアルバムを買うことは僕にはない。
写真を見ていただければわかるように帯がうざい。帯を取るとすっきり。中には帯を捨てないできれいに取って置いて売る時に再び付ける人もいるようだ。
帯があるのは日本だけなのだろうか。少なくともアメリカやイギリス盤では見たことがない。日本のレコード会社に言わせると帯は買うための目安となり、それで販売が促進されるそうだ。う〜ん、アルバムを買ってもらう立場としてはそう言われると仕方ないのかな・・・と思うが、アルバムジャケットも含めてひとつの作品だと考える僕は美的にどうも許せない。
先日、偶然見つけた映画「クロスロード」(1987年公開)のサントラ・アナログ日本盤。帯のキャッチを考えた方には申し訳ないが帯を捨てさせてもらった。やっぱりない方がいい。
これはライ・クーダーが音楽担当したなかなか面白い映画だった。しかし、ラストあたりで主人公の少年とスティーヴ・ヴァイのギター・バトルのシーンが出てくるのだが、それってブルーズ・バトルじゃなくてただのハードロック・ギターバトルだろうとイラついたのを覚えている。なんでステーヴ・ヴァイだったのか・・・アメリカには素晴らしいブルーズ・ギタリストたくさんいるのに。映画の観客動員を考えてヴァイになったのか・・・客が倍、倍、倍・・・。
でも、このサントラ盤にはライ・クーダーはじめ、ハーモニカのフランク・フロスト(我btbが演っているインスト"My Back Scratcher"のオリジナル・プレイヤー)、やはりハーモニカのサニー・テリー、ドラムにジム・ケルトナー、コーラスにデリー・エヴァンスとボビー・キングなど素晴らしいメンバーが参加している。ライのアレンジがややオーヴァー・アレンジと感じる曲もあるが、でもレコード屋で見つけたらゲット!の一枚だ。
帯の話から結局アルバムの話になってしまった。
「帯に短し、たすきに長し」中途半端な話でした・・・。

中村とうようさんのこと

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先日、ミュージック・マガジンのインタビューを受けた。その内容は次号のマガジンで読んでいただくとして、ミュージック・マガジンと言えば初代の編集長中村とうようさんが7月21日に亡くなられた。そして、それが自死だったために音楽業界のたくさんの人たちにかなり大きなショックを与え、僕のところにもいくつか驚きのメールが届いた。

そして、その先日のインタビューの時に最新号のミュージック・マガジンをいただいた。帰途に着く電車の中でとうようさんが書いていた「とうようズ トーク」のページを真っ先に読んでみたら、最後に読者宛にお別れの言葉が少し書かれていた。最後の「とうようズ トーク」だった。
少しの文なのだが、とうようさんのことだけでなく、人間が老いていく、それもひとりで老いていく儚さが頭によぎって読んでいて落涙しそうになった。でも、とうようさんは「人生は楽しかったし、思い残すことはない」と、同情されることを嫌うかのようにきっぱりと書かれている。しかし、その「とうようズ トーク」の書き出しが6月に住んでおられたマンションの近くでひばりが鳴いている話だったので、そういう生命の輝きのようなことを感じておられたとうようさんが、その1ヶ月後くらいにマンションから飛び降りるという光景が目に浮かびまた胸がつまった。

1970年代初めにミュージック・マガジン(当時はニュー・ミュージック・マガジン)が創刊された。その創刊者であり長く編集長であったとうようさんの残された業績はあまりに大きい。ブルーズを積極的に日本に紹介されて、レコード会社にブルーズのレコード出す働きかけもなされ、ブルーズマンの日本公演招聘もされた。ブルーズのラジオ番組もされていたが、当時京都に住んでいた僕は聞けなくてくやしい思いをしていた。当時、とうようさんのそういう動きが日本にブルーズの種を蒔き、ブルーズ・ムーヴメントが広がっていくきっかけになった。
初めてとうようさんと話したのは1974年だったと思う。「ブルーズのすべて」というミュージック・マガジンの増刊号を作られるので取材を受けたのが最初だった。その前からとうようさんの文は読んでいて、ブルーズのアルバムを買う時のガイドにさせてもらっていた。その後、とうようさんの「B.B.キングは卑屈な芸人」発言があり、ブルーズを民族音楽としてしか捉えないかのようなとうようさんの姿勢に反発も抱いた。しかし、音楽と社会、政治の接点をその時々で捉えたとうようさんの鋭い文は、凡庸な音楽ライターの書いたものとは一線を画していた。ただ、その後とうようさんの興味がブルーズ、ロックからワールド・ミュージックはじめ多分野に移っていき、僕の興味外のところに行かれたので自然ととうようさんの文から遠ざかっていった。
でも、とうようさんの著書「大衆音楽の真実」や「雑音だらけのラブソング」など単行本は読んでいたし、マガジンも「とうようズ トーク」だけは本屋で立ち読みさせていただいていた。すみません。

思い返せば、75年にリリースされた「ウエストロード・ブルーズバンド」のデビュー・アルバム(僕にとってのデビュー・アルバム)のライナー・ノーツを書いてくださったのもとうようさんだった。
その後も外タレのコンサートの会場や楽屋で何度かお会いして話もさせていただいた。
最後にお会いしたのは・・・何年前だろうか。六本木の青山ブックセンターでばったりお会いしてお連れがいらっしゃったのでご挨拶だけした。その時は本を何冊か抱えられて、相変わらず眼光は鋭くお元気そうだった。

やはり70年代から音楽を始めた者にとって中村とうようさんの文と発言は折に触れて気になるものだった。時には気持ちがいいほど評論をバッサリと書かれて、時にはそれは違うんじゃないかなぁ・・と反発し、また自分が全然気づいていなかったことを問題提起されて考えたり・・・と、その文や発言に刺激されたのは確かだった。
最後の「とうようズ トーク」に「やれることはやり尽くした」と書かれていたが、日本でブルーズが知られていった時代を共に生きた者としては、もっと音楽について書いていただきたかった。残念です。
ご冥福をお祈りします。

追記-偶然、今朝聞いていたライトニン・ホプキンスの「ライトニン・ホプキンス/イン・ザ・ビギニン」(原題"Strums The Blues")のライナーも中村とうようさんだった。アルバムの編集もされている。1974年に東芝からリリースされた「ブルース名盤シリーズ」の1枚だ。この頃は本当にたくさんのブルース・アルバムが日本のレコード会社から争うようにリリースされていた。このシリーズのB.B.キングもジミー・リードもT.ボーンもずっと大切に聞いている。そして、ターン・テーブルに載せる度に何度も読んだとうようさんのライナーをまた読んでいる。これからも何度も読むのだろう。

Blues&Soul Records No.101

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現在発売中の新しいbsr(ブルーズ&ソウル レコーズno.101)誌にブルーズ・ザ・ブッチャーのフジ・ロックのレポートとニューアルバムの告知が出ています。読んでみてください。10月のアルバム・リリースに向けて着々と準備進行中。リリース・ツアーは11月から12月にかけて再び「過密スケジュール・ツアー」行います。乞うご期待!
bsr誌には亡きコーネル・デュプリーの貴重なインタビューも掲載されています。

Little Esther

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アコースティック・ギターを去年くらいから本格的に欲しいなと思っていたのだが、とうとう出会った。
「彼女」は1966年のアメリカ生まれだが日本には来たばかり。製品名はGibson LG-O
大阪のギタリスト森くんが「ホトケさん、なかなか器量のええ娘がいまっせ」とギターショップで見つけ教えてくれた。
最初に抱いた瞬間に僕の腕にぴったりで即決まり。小柄できれいなブラウン・シュガーだ。しかも、音がブルーズ。
それで大好きな女性シンガー、エスター・フィリップスの少女の頃の芸名をとって名前を「リトル・エスター」にした。
これでまた一歩、よりディープなブルーズへの道へ・・・・すごく嬉しい。

Nothing But The Blues

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Nothing But The Blues
昨日(8/18)の酷暑の中、JIROKICHIに来てくださったみなさん、ありがとう!いゃ〜、なんかすごくいい感じで自然に盛り上がって楽しかったですね。JIROKICHIのエンジニアのワオさんに「すごく良かったですね。思わずイェ〜って声が出ちゃいましたよ。ブルーズ・ザ・ブッチャーはやっぱりいいバンドですね」とお褒めいただいた。結成以来、ずっと音を聴いてもらっている人に誉められると正直、うれしい。ブルーズ・ザ・ブッチャーの4人だけでしかもホームのJIROKICHIでというのが、気持ちが落ち着いて本当にDown Homeな感じになっていいな。来月は8日(木)。毎月、毎月JIROKICHIでやっているけどこの積み重ねはバンドの大きな財産になっていくと思います。ああ、来月は新しい曲やりますよ!

来週は関西へひとり旅。8月27日は心斎橋のS.O.Raで4回目を迎える「永井ホトケ隆のブルーズ講座/大阪編」。私の生き方に徹底的な影響を与えた「ブルーズの王様B.B.キング」の特集です。映像、写真、CDなどを使ってB.Bの音楽性だけでなく、彼の人間的な魅力、内面性にまで迫りたいと思っている。私所有の秘蔵の映像も蔵出し!もちろん、森くんとB.Bの素晴らしい曲も演奏します。それで今日は朝からB.B.キングづくし。心が豊かになるブルーズ・・・・B.B.を聴くたびにそう思うのは、B.B.が心豊かな人だからです。自分がブルーズを歌う精神的な出発点になったB.B.だけどまだその背中も見えないかな。まだまだB.B.は遠い。