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 『We Play The Blues For You,Mako.And We All Love You』-2011年8月5日&6日 永井ホトケ隆プロデュース2DAYS

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4月に急逝されたJIROKICHIのマスター荒井誠さんの追悼ライヴをやりたいので手伝ってもらえないかと、JIROKICHIのスタッフのタカから連絡をもらったのは5月の終わり頃でした。プロデュースというほどのことはできませんでしたが、2日間ともソウルド・アウトするほどたくさんのお客さんに来ていただき、また参加してくれたミュージシャンのみなさんには心のこもった演奏をしていただき本当に感謝の気持ちでいっぱいです。両日ともすごく盛り上がったファンキーな夜になりまして、楽しいことが大好きだったマスターはきっと天国で踊りながら聴いてくれたと思います。皆様、ありがとうございました。
常々言っていますが、1974年の開店当初から出演している自分にとって「JIROKICHI」はライヴハウスではなく、ライヴホームです。音楽だけでなく個人的にも、私にとっては心許せるホームでありつづけてきた店です。開店から40年近い歳月の中で、自分が何か新しいことを始めるときにまず最初にトライするのはいつも「JIROKICHI」からです。いまも必ず1ヶ月に一度はブルーズ・ザ・ブッチャーでJIROKICHIに出演しています。どんなにメンバーが忙しくてもなんとかスケジュールを合わせてJIROKICHIはやるぞとみんな思っています。
思えば「JIROKICHI」はいつの時代もスタッフが素晴らしい人たちばかりです。みんな、いい人で親切で優しい。JIROKICHIにいてイヤな思いをしたことがありません。それはマスターの人柄がそういう素晴らしいスタッフを自然と寄せつけたのだと思います。いろんなライヴがありましたが、どんな時でもいつも気持ちよく演奏させてもらっています。

JIROKICHIの音的な良さはやはりそのミュージシャンの生音が聴けることでしよう。JIROKICHIの音はPAから出てくる音だけでなく、生のダイレクトな音もかなり聞こえます。その割合を調合するミキサーのワオさんは素晴らしいエンジニアです。だから、JIROKICHIで「いい音だったよ」とお客さんに言われることはとても嬉しいことなのです。
そして、ここでいろんなミュージシャンに紹介され、交流をもつ機会を得ました。最初に出演した時の「ウエストロード・ブルーズバンド」のメンバーはもとより、亡き浅野祥之くんとも亡き大村憲司さんとも初めて音を交わしたのはJIROKICHIでした。ベースの岡沢章さんに自分で電話してセッションをお頼みしたのもJIROKICHIでした。ムッシュと初めてステージに立ったのもJIROKICHIでした。バーナード・パーディとセッションできたのもミッキー・ベイカーとやったのも、ニューオリンズのたくさんのミュージシャンとギグをしたのもJIROKICHIでした。
決して大きなお店ではありませんが、この40年ほぼ毎月JIROKICHIにずっと出演させてもらってきたことは私のかけがえのない宝です。それはどんな大きなホールやスタジアムに出るよりも私の誇りです。
荒井さんが亡くなられてしばらくして、ここに出演しているみんなが思ったのは「もう、JIROKICHIはなくなってしまうのだろうか・・」ということでした。
それは単にひとつのライヴハウスがなくなってしまうということだけでない、もっと大きな精神的な拠り所がなくなってしまうことを意味するからです。
そう思っているミュージシャン、そしてお客さんはたくさんいると思います。
私も心配でした。でも、大丈夫です!ワオさんとタカをはじめスタッフが一丸となってこれからも盛り上げて続けて行きます。

ここ数年、荒井さんが北海道に住むようになってからは会うたびに「ホトケ、JIROKICHIをよろしくな」と言われていました。
でも、私ができることは微々たることでみなさんの力がないとどうしょうもありません。
私がこんなことを言うのもおかしいかも知れませんが、「みなさん、JIROKICHIをどうぞ、これからも、よろしくお願いします!」
JIROKICHIのライヴはもちろんですが、JIROKICHIは夜の二時まで営業しています。仕事帰りに演奏後のJIROKICHIに寄って、カウンターに座りスタッフと音楽の話でもしながら酒を飲んで料理を食べるという時間の過ごし方も素敵かと思います。

そのカウンターに荒井さんがふらっと現れて賑やかに一緒に飲むことはもうないのか・・・・と思うと胸に想いが詰まります。
でも、「楽しくやろうよ」という荒井さんがよく言っていた言葉を忘れず、これからもみんなで楽しくやりましょう。

亡き荒井さんへの想いは語り尽くせないほどありますが、それはまたの機会に。

本当に2日間、ありがとうございました。
出演ミュージシャン:5日(金) 沼澤尚dr 中條卓b KOTEZbluesharp ムッシュかまやつvo.g 鮎川誠vo.g シーナvo 近藤房之助vo.g Leyona vo永井ホトケ隆vo.g
6日(土) 金子マリvo 松本照夫dr 森園勝敏g 石井為人key 北京一vo.etc 大西真b 吾妻光良vo.g 牧裕b 早崎詩生p 岡地曙裕dr 小出斉vo.g 小堀正b Leo vo 妹尾隆一郎bluesharp.vo 石川二三夫bluesharp vo永井ホトケ隆vo.g

                                                                                                                                        I Love My Sweet Home "JIROKICHI" 永井ホトケ隆

P.S.忘れてました・・・今月のJIROKICHIのブルーズ・ザ・ブッチャーは8月18日。みなさん、暑さを吹き飛ばしにVoodoo Musicで飲みに、踊りに・・どうぞ。

『夏の日に聴く、余計に暑くなるクリスマス・ブルーズ』

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Blue Blue Christmas (P-Vine Records PCD-1619)
先日下北でゲットしたアルバム。発売当時買いそびれていたアルバムを中古盤800円でゲット。
P-Vineレコードがかなり前にリリースしたクリスマス・ブルーズコンピ・アルバム。
ちょっとセクシーな熟女風サンタさんだがジャケ買いではない。ちなみにこのジャケットとはほど遠く中身はコッテ、コッテのブルーズの数々。
ブルーズはじめ黒人音楽のクリスマス・アルバムというのを集めている僕にとっては嬉しい1枚。
集めていると言っても血眼になって探しているというわけではなく、なんとなく見つかれば買うみたいな感じで濃度の低いコレクトぶりだが、自分のレコード棚を見てみるとそこそこクリスマス・アルバムが収集されている。

このコンピ・アルバムなかなか優れもので、こんなブルーズマンのクリスマス・ソングがあったのかとひとり喜んでいる。
収録されている中ではチャールズ・ブラウンの「メリー・クリスマス・ベイビー」がダントツで有名な曲だ。
デトロイト・ジュニアの「クリスマス・ディ」は初めて聴いたが、「メリー・クリスマス!エブリバディ!」というかけ声で始まるアップ・テンポのファンキーなクリスマス・ソングで一気に体温が上がる。しかし、デトロイト・ジュニアいう芸名がきょ〜りょくやな。言ってみれば東京ジュニア、名古屋ジュニアみたいなもんやからなぁ。
膝の上にギターを横にしてスライド・ギターをするブラック・エースさんの「クリスマス タイム ブルーズ」なんていうのも入っている。そう言えば、エースさんは自分のアルバムで「サンタクロース・ブルーズ」という曲も歌っていた。この人はクリスマス・ソング好きか? you tubeの映像(http://www.youtube.com/watch?v=qck-s79efuw)でエースさんが嫁はんと子供の前でブルーズを歌っているのがあったが(子供は退屈そうな顔してるし、嫁はんもつき合わされてる感が出てる)、クリスマスになったらあんな感じでこのクリスマス・ブルーズを家族の前でスライド弾きながら歌うのだろうか。
あとはクール・パパ・スミスなんて全然知らない人も入ってる。ちょっとチープなかっこ良さの芸名がええ感じです。
ウォルター・ディヴィス、ホップ・ウィルソン、ジミー・マグリィフなどのクリスマス・ソングも収録されている。
しかし、やっぱりおもろいのは何と言うてもライトニンの「メリー・クリスマス」。のっけからペケペケのいつものギターの音で別に「メリー・クリスマス」という歌詞以外はいつものライトニン。しかも飲んで録音してるのか"Merry Christmas〜"の最初から発音がヨレてるし、テキサスでなまってるしめっちゃおかしい。やっぱライトニンはいい。ライトニンはひとつの偉大な解放だ。

収録曲の内容はブルーズだけに「クリスマスなのに彼女がいない、金がない」というのが多い。「なんかプレゼントもってきてくれ、サンタさん」みたいなのもある。
解説で日暮泰文さんも書いているが、黒人にとっての(とくにブルーズマンにとって)クリスマスっていうのはやはり一般的な白人のクリスマスと違うのだろう。サニーボーイの「クリスマスなんでキリスト教に近づこうとお祈りするんだけど、悪魔がジャマするんだな。だからクリスマスも一日中酒を飲みっぱなしってわけよ」という「サニーボーイズ・クリスマスブルーズ」という曲が、黒人ブルーズマンの感情をよく表してるようだ。これもサニーボーイらしい大好きな曲だ。チャールズ・ブラウンの「メリー・クリスマス・ベイビー」にも、「クリスマスだからオレは今朝は飲んでないよ」という歌詞が出てくるが、結局この方たちは普段朝から飲んでるわけやね。
とにかく、おもろいアルバムです。
クリスマス・ソングと言っても結局ブルーズですらかね。念のため。

やっと読み終えたキース自伝「Life」

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キース・リチャーズ自伝「Life」(棚橋志行訳 楓書店)
かなり分厚い本で、キースの話をたっぷり楽しませてもらった。
キースの波瀾万丈の人生を書くにはもっともっとページが必要だったかも知れないけど。
子供の頃の話から現在に至るまで、音楽の話だけでなく女性関係からドラッグ話まで赤裸々に書かれているけれど、ブルーズ好きの自分としてはストーンズ結成頃、60年代初中期のイギリスの音楽、ブルーズ状況の話がいちばん面白かった。
ストーンズというバンドを結成していく話や、ブルーズ好きのミュージシャンが磁石に引き寄せられるように集まってくる話は、70年代初期の自分の周りで起こったことも想い出させてくれた。

キースは音楽をやる上でバンドの大切さを説いている。やはり、彼は自分の信じるサウンドとグルーヴを作ることに心血を注いできた男であり、ギターだけうまくなりたいと思っている人間ではない。そして、いいバンド・サウンドを作ることが自分自身をいちばん表現できる方法だということに早くから気づいたところが賢い。
だから、当然キースはローリング・ストーンズというバンドをすごく大切にしている。命かけてきたと言っても大袈裟ではないと思う。
そこがキースのいちばんブレてないところで僕から見るといちばんかっこいいところだ。

だから、途中からあれやこれやとブレていくミックに腹立たしく思い始めた気持ちはよくわかる。
でも、ミックにはミックの言い分はあるんだろうけどね。
だけど、ストーンズが初来日する前にミックがソロ・ツアーで来た時のミックってつまらなかったなぁ・・・。ストーンズの曲をやればやるほどシラケた。「歌ってるのは確かにオマエだけど、バンド・サウンドもグルーヴも違うのにストーンズの曲やったってカラオケで歌ってるみたいなもんだよ、ミック!」って言いたかった。

いろいろ紆余曲折を経て、それでも同じステージ立つ相棒としてはふたりは認め合っているから何十年もいっしょにやってきたわけだ。
元々、生まれも育ちも経験も趣味趣向も違う人間同士が集まってバンドをつくるわけだから、すべてが合うわけがないのであまり重箱の隅をつっつかないことだな。

僕の好きなブライアン・ジョーンズのことも途中からストーンズの足手まといみたいになったように書いてあったが(確かにそうなんだけど・・)、ブルーズバンドのアンサンブルとかふたつのギターの絡め方はブライアンがキースに教えたはずで、そのあたりのことをもうちょっと書いてほしかったな。声を大きくして言いたいが、ブライアンは相当な才人で、ことブルーズに関する見識と腕前は当時のイギリスではダントツだったと思う。

しかし、ストーンズほどのビッグな化け物バンドになるとアルバム一枚作るのも、ツアーひとつやるのも大変で、自分がスターであることを楽しめないとああいうバンドはやれないのだと思った。
僕はブライアン・ジョーンズがいた初期とミック・テイラーが在籍した頃が好きなのだが、途中で突然辞めてしまうミック・テイラーもストーンズというモンスター・バンドにいることに疲れたのではないだろうか。ベースのビル・ワイマンは「飛行機に乗るのがもうイヤだ」と言ってやめたそうだ。そう思うと、キースやミックという人は相当強靭な神経の持ち主なんだろう。
「メイン・ストリートのならず者」を録音していた時は、キースのフランスの邸宅(この邸宅で録音していた)にどんどん訳の分からないファンやらグルーピーやらドラッグ運び屋が出入りしていたという話も出てくるが、自分だったらとても耐えられない。
元々は黒人のブルーズをイギリスに広めたいと思っていただけのグループが、ヒット・メイカーになってビッグになりスタジアムでしか演奏できないバンドになってしまう。大きな成功の傍らで失ったものもあるのだと思う。でも、その失ったものにたくさんの気持ちが削がれるようではロックンロール・スターにはなれないんだろう。

そういう自分が置かれているそういう特殊な状況で音楽に集中するためにドラッグが必要だったのだろうが、途中でずっと続くドラッグの話にやや辟易した。「うん、キース、もうドラッグの話はいいから音楽の話をして・・・・」と何度か言いたくなった。

ストーンズ・ファン、キース・ファンにはたまらなく面白い1冊。夏休みにキースの好きなジャック・ダニエルのハイ・ボールでも飲みながら読むのにいいかも知れない。

次はチャーリー・ワッツの自伝が読みたいなぁ。チャーリーから見たストーンズって面白そうだ。

音放浪記/おっと!見つけた!Annisteen Allen嬢

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FUJIYAMA MAMA/Annisteen Allen(ReV-OlA CR BAND8)

7月某日、下北沢の中古レコード店のブルーズ・コーナーにてアニスティーン・アレンのコンピ"FUJIYAMA MAMA"を発見!即購入!
この日はホップ・ウィルソン、インペリアルのコンピ、ボ・カーターなどなかなか収穫の多い中古盤探索だった。
さて、タイトル曲の"FUJIYAMA MAMA"はブルーズ・ザ・ブッチャーとシーナ&鮎川君の先頃のライヴでシーナが歌っていた曲。
僕は鮎川君が作ってくれた音源とyou tubeでしか聴いたことがなかったのだが、とうとうアルバムをゲットした。しかも1000円だ。28曲も入っている。まあ、曲数が多ければよいというものでもないが、この28曲がすべて素晴らしい!
40年代半ばからラッキー・ミリンダー楽団の歌手として活躍を始めたアニスティーン・アレンはカテゴリーに分けるとジャンプ・ブルーズ・シンガーということになるのだろうが、R&Bシンガーとしてもジャズ・シンガーとしても通用する深みのあるシンガーだ。ほぼ同時代のダイナ・ワシントンやルース・ブラウン的な匂いもあり、まさに私好み。
アップテンポからスローまでどれも魅力的で、とくにスローの時の少し力が抜けた時の歌声が艶っぽい。
基本的に骨太のシンガーだが、がなるようなところがなくパワフルになっても荒れた声にならないところがいい。
と、まあ大絶賛なわけで買った日から毎日聴いている。

ところでタイトル曲の"FUJIYAMA MAMA"だが、歌詞をちゃんと聴いてみてちょっと驚いた。
「わたしゃ、広島、長崎でやったのと同じ様にあんたを吹き飛ばせるのよ。そうよ、わたしゃフジヤマ・ママ。わたしが爆発したら誰にも止められないからね・・・」と、広島、長崎の原爆投下がベースになっている歌詞だった。
これをオリジナルのアニスティーン・アレンよりヒットさせたのは白人の女性歌手ワンダ・ジャクソン。
僕はよく知らないのですが、このワンダ・ジャクソンはロカビリーの女王という呼び名もあり、かなり有名らしい。そして、上に書いたような歌詞にもかかわらず被爆した日本でもヒットしてシングル盤も発売されてワンダさんは来日もしている。来日時にこの曲を歌ったかどうかは定かではない。当時の日本の歌手によるカヴァーもリリースされたらしい。you tubeでは細野晴臣氏がカヴァーしている映像があった。
私見では戦勝国アメリカでは日本をやっつけたという気持ちもどこかにあってのヒットだと思われる。
作詞した人は「私はめっちゃ強い女なのよ」という意味あいを出すために広島、長崎・・・と言う歌詞を出したのかも知れないし、メロディもグルーヴもいいので・・・う〜ん、でもなぁ、頭の堅い僕にはまったく抵抗がない・・とは言えないかな。

でも、このアニスティーン・アレンのアルバムは見つけたら迷わずゲット!

「愛はどこにでも見つけられる(ギターにさえ)」

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Albert Collins/Love Can Be Found Anywhere(even in a guitar)     (Imperial Lp-12428)
このアルバート・コリンズのアルバムには過去中古盤屋で何度か遭遇してきた。気にはなっていたが、その度に「これって、コリンズの決定盤というほどのアルバムでもないしなぁ・・・・・・まっ、いいか」とパスしてきた。
しかし、この日はあまり欲しいアルバムがなくて先のグラント・グリーンのアルバムだけをゲットしていた。そこにこのアルバムが現れた。
値段をみると2500円。別に高額ではないのだが、普段ほとんどの中古盤を2000円以下でゲットしている自分にとってはやや高い。ちなみに先のグリーンのアルバムは800円だ。普段、酒にムダ金を使っているくせにこんな時にSave Moneyの気持ちが湧いてくる。
でも、「よし!今日は買うか!」と「清水の舞台」から飛び降りた。あまりに低すぎる「「清水の舞台」だが・・・・。
これもアナログ盤だが、60年代ウエストコーストの白人ブルーズバンド「キャンドヒート」のヴォーカル、あのおデブのボブ・ハイトがジャケット裏のライナーを書いている。
実はこのアルバム、そのボブ・ハイトがコリンズさんのプレイに惚れ込みインペリアル・レコードに売り込んだらしい。
全体的にファンク・テイストなのだが、先のグラント・グリーンに比べると「イナたい」。バックもイナたいがやはりテキサスから直送のブルーズマンであるコリンズのギターは、キレもコクもあるが・・・イナたい。でも、イナたい・ファンク・ブルーズ大集合みたいなアルバムでとても好感がもてる。
たぶん、ウエスト・コーストのヒッピー風の兄ちゃんがラリパッパで描いたであろうサイケ風のジャケットもGOODだ。
アルバム・タイトルもラヴ&ピースの当時の流れで「愛はどこにでも見つけられる(ギターにさえ)」だ。

「いまも古くない骨太のクロス・オーヴァー」

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Grant Green/Blue Breakbeats(Blue Note B1 7243 4 94705 1 4)

6月の初めにゲットしたアルバム。
中古レコード屋のブルーズのコーナーにまぎれ込んでいたジャズ・ファンクのギタリスト、グラント・グリーンのアルバム。アナログ・レコード盤。
まずタイトル"Blue Breakbeats"からして惹かれる。
70年代初頭のグリーンのアルバムから抜粋したコンピレーション・アルバムだが、やっはりこの時期、クロス・オーヴァーといわれた時代のこの手の音楽はいい。
その後、フュージョンになっていくと僕はこういう音楽から離れていくのだが、この時代の良質のクロス・オーヴァーはグルーヴが骨太で、インプロヴィゼーションのやりとりが巧みで、小賢しいセクションがなくていい。個々のソロが歌っていて歌がないけれど歌手の僕でも聴いていて飽きない。
参加メンバーもIdris Muhammad(dr) Chuck Rainey(b)Ronnie Foster(organ) Jimmy Lewis(b) Cornell Dupree(g) Gordon Edwards(b)Grady Tate(dr)・・・・・と、素晴らしい名手ばかり。
サンプリングもたくさんされているグラント・グリーンなのでそちらで「あっ、聴いたことある」と言う人も多いと思う。

グラント・グリーンは亡き塩次伸二が大好きなギタリストだった。

ちょうど初めてアメリカへ行った頃、クロス・オーヴァーのブームが起こり始めていろんなクラブでこういう強者たちのライヴを聴いた。マルガリータ飲みながら・・・・。
久しぶりにCTIレーベルを聴いてみようか。

石巻復興Tシャツ

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石巻のズーズー・シスターズのミータンから以下のような復興支援のお願いのメールが来ました。
みなさんもご支援のほどよろしくお願いします。
「先日、友人から連絡がありまして、仲間が石巻の復興Tシャツ「負げねど(負けないぜ)」を作っているそうです。
石巻河北新報にも掲載されました。(添付あり)
『自分達が生まれ育った故郷の為に、何か役に立ちたい』という思いで立ち上がった“青空ロングビーチクラブ”という復興支援チームです。
町の復興の為、家族の為に懸命に生きた友の意思を引き継ぎ、故郷の「長浜」から名付けられました。
復興Tシャツは、一枚1500円で、売上の半分が石巻に直接寄付されます。
代理店として、石巻駅前北通りの“文房具ナリサワ”が取り扱っております。
ネット販売はこちらです[↓]
http://reishinomaki.shop-pro.jp
私も購入させていただきました。
色々とご支援をしていただいているにも関わらず、厚かましいお願いかもしれませんが、拡散または、ご支援のほどを宜しくお願い致します」

Blues & Soul Records誌 100号

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Blues & Soul Records誌 100号
こちらに日暮さんの「ロバート・ジョンスンを読む」の読後感想を僕が書きましたので読んでみてください。
ロバート・ジョンスンは生誕100年、そしてこのBlues & Soul Records誌は100号。何かの因縁か。もちろん、特集は「あなたの知らないロバート・ジョンスン」と題するもの。ジョンスンに入門するのによいと思います。CDも付録でついてます。

「ロバート・ジョンスンを読む」(日暮泰文著 P-Vine Books ¥3800)

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「ロバート・ジョンスンを読む」(日暮泰文著 P-Vine Books ¥3800)
ロバート・ジョンソンが生まれて100年ということで、アメリカでは生誕100年に関したイベントなども行われているようだ。日本ではこれといった動きもないようだが、ここにロバート・ジョンソンに関する素晴らしい本が出版された。
P-Vine Recordsの創設者でもあり、音楽評論とくに黒人音楽に関しては深い研究と格別の見識のある日暮泰文さんが「ロバート・ジョンソンを読む」という素晴らしい本を上梓された。
この本の書評という偉そうなものではないが、書感といったものを私がBlues & Soul Records誌(ブルース・インター・アクションズ刊)の最新100号に書いたので、そちらを読んでいただきたい。
ロバート・ジョンソンはブルーズ史上最も重要なブルーズマンのひとりで、ブルーズを聞き始めた人は必ずジョンソンのブルーズを耳にすることになる。ローリング・ストーンズもクラプトンも・・・いや、いまのロック・ミュージックの根底にはずっとジョンソンのブルーズが眠っている。そして、いまもジョンソンのブルーズはブルーズのスタンダードとして歌い継がれている。色褪せない永遠の音楽だ。
僕のこのHPを訪ねてくれる人たちには、一度ゆっくりとロバート・ジョンソンを聞いてもらいたいと思う。
遥か1930年代の録音であり、彼ひとりの弾き語りであり、その音触りに慣れるのに少し時間がかかるかも知れないが何年か経ってから聴いてその素晴らしさに気づいた友達もいる。
たった29曲を録音に残し、27才という若さで毒殺され、悪魔に魂を売り渡してギターが上手くなったという謎の多いロバート・ジョンソン。
そのジョンソンを日暮さんは徹底的に解明しょうと長年に渡って調べあげ、とうとう一冊の素晴らしい本にされた。
世界にはロバート・ジョンソンの研究家といわれる人たちが何人もいて、彼に関する本も過去何冊か出されてきたが、これほどジョンソンの実像に迫ったものはなかった。
ロバート・ジョンソンを聴きながら、是非この「ロバート・ジョンソンを読む」を読んでみてください。

佐野〜いわき

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6/12(日)佐野 Bar Ken
お昼に石巻で川尻さんに用意していただいた昼食をいただいて、その後石巻のみんなに見送られて佐野に向かった。
佐野は盟友塩次伸二が心臓の発作に襲われて亡くなった街だ。その彼がライヴをやるはずだったお店"Bar Ken"に向かう。
佐野に着いた頃には少し雨が降り始めた。
伸ちゃんが倒れたホテルの前に来ると、あの日病院に運ばれたと連絡を受けてあわてて佐野に向かったことを想い出す。

雨の中、初めての佐野なのにたくさんの方に来ていただいた。
それにしてもめちゃ盛り上がりましたね。マスターからは「こんなにみんなが立ち上がって盛り上がったブルーズバンドは初めてです」と私たちにとっては最高の誉め言葉をもらった。
佐野のみなさん、また、行きます!Kenさん、よろしく!
この日は、以前Leyonaのマネージャーでいまは佐野で農業をやっている小山君も仲間を連れてきてくれた。
やはり原発の風評で被害を受けていたが、最近は元にもどりつつあるとのこと。終わってから久しぶりに一緒に飲めて楽しかった。また、飲みましょう!元気で。

6/13(月)いわき Bar Queen
Bar Queenのマスター加藤さんとは震災直後から何度か電話のやりとりをしていた。
いつも元気な加藤さんの声が、震災からは日によって元気がないように感じられたことが何度かあった。
今回のライヴも一度は中止にしょうかという話もあったが、加藤さんとお店の復帰が早く普段と変わらないようにやりましょうという加藤さんの提案でいつもどおりやることになった。
「でも、来てくださるお客さんは少ないですよ」と加藤さんは言われたが、ボクたちブルーズ・ザ・ブッチャーのメンバーはそんなこと関係なく加藤さんといわきの人たちに会いにいく気持ちだった。
お店に入っていくと「おはようございます!」というあの元気な加藤さんの声が聞こえた。

リハーサルが終わった頃にひとり青年が入ってきて、加藤さんが「おお、元気だったか」と何やら話し込んでいた。
あとから聞けば福島の原発で働いている青年だった。

そして、ホテルでテレビをつけると画面の上にテロップのように福島各地の放射線量が流れている。

そして、演奏後、残ったお客さんたち、加藤さん、お店のヒロミさんと飲みながら話したが、やはり原発のことはボクたちが思っているよりも遥かに重くいわきそして福島の人たちにのしかかっている。
避難区域として避難することを強制された方は自分の大好きなCDやレコードを置いたままだという。あんなビニール袋ひとつだけ渡されて必要な物を持って来いと言われて、一体何が持ってこれるというのだろう。はっきりしたデータも明確な方向性も示さないまま、避難という名目で住んでいたところから彼らを追い出している。何か目的があるのか。権力争いに迷走している政府や自己保身の東電が信用なんかできるわけがない。疑惑だらけだ。
放射線量はいわきや福島だけでない。東京でも風のむきによっては福島より多いときもあるという。福島の問題というわけではない。

今日(6/28)テレビを見ていたら、これから原発近くに住んでいた人たちの内部被爆量を量り始めるという。でも、その対象になっている人が「被爆しているってわかって、それでどうなるんだ」と言った。人間はその日その日を生きていかなければならない。仕事をして子供を育てなければならない。親の面倒もみなければいけない。食べて生きていかなければならない。たとえ、自分が内部被爆していたからと言ってそれをやめるわけにいかないだろうとその人は言いたかったのだ。その一言は重い。

ライヴはやはりお客さんは少なかったけど、そんなこと関係ない。みんなで踊って歌ってすごく楽しかった。
ひとり、おばあさんがいた。80才を過ぎておられる。ボクの母と同世代の方だ。その方は自分の家をなくしている。
人生を真面目に、ささやかに生きて来た人がいま80才を過ぎてすべてをなくしている。つらい。
Queenで夜中12時近く、少し酔っていた人が「ホテルへ帰るよ」と言って帰って行った。彼のいうホテルは避難所のことだ。そこに門限があるので帰ったのだった。
いわきの夜はホテルに帰っても眠れなかった。そのホテルに泊まっている人たちのほとんども原発関係で働くために全国から来ている。
遠くにいる人たちはテレビのニュースのひとつとしてしか実感はないかも知れないが、この狭い日本のいたるところにある原発のことを考えると福島のことは明日の自分たちのことだ。
ボクたちはいつもツアーをしていてこの日本という国の美しさをいろんなところで見ている。景色だけでなく、その土地のみなさんの美しい気持ちも知っている。その土地にある美味しいものも知っている。そのたくさんの美しさをすべて失ってしまうようなことをこれからも続けるのだろうか。

この夏、もし、あなたに夏休みがあったら東北へ行って欲しい。ボランティアでなくてもいい、旅行に行って欲しい。その土地のものを食べて飲んで、そしてそこに住む人たちと話しをして欲しい。

加藤さん、ヒロミさん、来てくださったみなさん、そして来たくても来れなかったみなさん、また会いましょう。
またいわきに行きます!いつでも呼んでください。
写真は加藤さん、ヒロミさんそして来て下さったお客さんです。