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1973
Live In Magazine No.1/2 (CHU CHU RECORD/CM-1)
Side:A
1.Gin House Blues/ウィーピング・ハープ・セノウ
2.Lonesome Morning Blues/レイジーキム・ブルース・バンド
3.Five Long Years/ウエストロード・ブルーズバンド
Side:B(Session Side)
1.Straight Boogie
2.Hard Hearted Woman
3.Got My Mojo Workin'(part.1) |
Musicians:
ウィーピング・ハープ・セノウ(妹尾隆一郎)Vo&Blues Harp
レイジーキム・ブルース・バンド/ レイジーキム(中川公威)Vo&G.
平尾麻脳B 井出隆一P
古池エンタDr.
ウエストロード・ブルーズバンド/永井隆 Vo. 塩次伸二G 山岸潤史G 小堀正B 松本照夫Dr.
Guest Musicians:
トックン(沖至クインテット)B.-Got My Mojo Workin'
田村博 P.-Gin House Blues
Note:
1973年4月23日から28日にかけて西新宿にあったライヴハウス「Magazine No.1/2」の閉店にともないその記念として製作された限定500枚のライヴ・アルバム。
I Remember........:
72年初め、確か妹尾君が東京、西新宿十二社の変な名前のライヴハウス「Magazine No.1/2」に演奏に行かないかと誘いを受けた。
ウエストロードが東京へ演奏しに行ったのはそれが初めてだったが、最初の日は確かお客さんが5人、こっちのメンバーが5人の“マン・ツー・マン”ライヴでとにかく最初はお客さんが来なくて、もう二度と行くもんか!と思った。
しかし、店のオーナーだったチュチュとタイロン(ふたりとも日本人)が京都まで車で迎えに来たこともあり、その熱意に押されて、みんなでボロい車に乗り込み東名高速を何度も往復した。口コミでウエストロードを聴きに来る人達が次第に増え、1年後には狭い店とは言え満杯になるようになったが、経営不振から閉店することになった。
そこで記念に枚数限定のライヴ・アルバムを残そうということになり、このアルバムの製作となった。
レイジーキムは10代後半をイギリス留学で過ごし、その後アメリカにもいたことがあり、クラプトンの「クリーム」などをリアルタイムで聴いたことがあるだけでなく、ブルーズをはじめとする黒人音楽に深い見識をもっていた。
本人はやや洒落た音楽への嗜好が強かったが、彼が本領を発揮するのはダウン・ホームな、いなたいブルーズだった。
「黒人がどうやってリズムをとっているか実際に見にいかないか?」とキムに誘われて、5人乗りの車に8人ぐらい乗り込んで基地のある福生近くの"BP"という小さなソウル・バー(ディスコ)ヘ行ったこともあった。
「Magazine No.1/2」では、このアルバムに参加しているジャズの沖至クィンテットのベース、トックン、「久保田麻琴と夕焼け楽団」のメンバーはじめ様々なミュージシャンが来ては一緒にセッションした。まだ、ブルーズのプレイに入り込んだばかりのウエストロードのメンバーにとっては、そこでの出会いがいい刺激だったし、後への大きな音楽的な糧となった。
このアルバムに残されている自分の歌はほんとに稚拙で恥ずかしいが、これが私のブルーズへの出発点であった。そして、いま「日本のブルーズ」の記録としてこれが残っていることを、これを作った人達・・・
チュチュとタイロンの二人、参加ミュージシャン、録音スタッフだけでなく、無償で店を手伝った人達、ホテルなどに泊まる金がない私達を泊めてくれた人達、口コミで客を集めてくれた人達とともに誇りに思う。
はっきりとは見えない新しい音楽に対して誰ひとり損得を考えずに、前に向かったパワーと情熱は、十二社から新宿まで歩いた夜更けの風景とともに私のいい想い出となっている。
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