1998年が終わりに近づいていますが、「クリスマス、師走というのに浮かれた
雰囲気がないなぁ」そう感じるのは僕だけですか?T・B・T(TRICK BAG
TRIBE)のみんなはどうでしょうか。世の中(人間)は景気、不景気で、つま
り金の有無でこんなにも違うんだとあの狂乱のバブルの頃を思い出します。199
8年は私にとって振り返るのがつらい1年です。まず11月18日の大村憲司の死
はすぐに悲しみを感じるにはあまりに突然でした。しかし、日が経つにつれ痛みが
深く、大きく広がっていくのを最近になって僕は感じています。時折、歌っている
最中に憲司さんはやってきて「この曲好きだよ。」「ねぇ、今度フレディ・キング
のあの曲演ろうよ・・」「BBキングって顔で弾くよね。」と、囁き微笑みます。
電話をする時ケイタイに表示される彼の電話番号。年賀状を書こうとアドレス・ブ
ックに見つける彼の住所。整理していない譜面の中から出てくる彼が書いた譜面。
「ホトケは文を書くから・・。」と彼がプレゼントしてくれたペン・・・、そして
頭の奥から流れてくる彼のギターの音色。彼のギターの音色を思い出す人はT・B
・Tのみんなの中にもたくさんいると思う。これからも憲司さんのことを何度でも
思い出してあげて欲しい。通夜の席で深酔いした房之助が「今度逝くのはホトケだ
な。」とかましてくれたので「うん、ありがとう。」と僕は言っときました。きっ
と天国の憲司さんは笑ったと思います。
死の1年前来日公演をした偉大なソウル・ソウルシンガー、OV・ライトは自身の
アルバムで「一生懸命歌って生きてきたけど、おれにはもう少し時間が必要なんだ
。」(I NEED A LITTLE MORE TIME)と歌った。神様が
いるなら、憲司さんにももっと時間をあげて欲しかった。
そして、バディ・ガイ、オーティス・ラッシュ、亡きマジック・サムと共に「シカ
ゴ・ブルーズの四天王」と呼ばれたジュニア・ウェルズの訃報も今年だった。ニュ
ーオリンズで見た真っ黒な彼のブルーズ魂、あのドスドスのブルーズはもう生では
聴けない。そして、「ニューオリンズの褐色のカナリア」ことジョニー・アダムズ
も逝ってしまった。ドクター・ジョンは言ったー「おれなんか歌手じゃないよ。本
当の歌手っていうのはアーロン・ネヴィルとかジョニー・アダムズのことだよ。」
あの天に登るようなファルセットももう生では聴けない。こうして今年も僕の好き
な音楽が減っていった。来年はみんなに悲しみのないことを祈って。Bye By
e1998
LOVE,PEACE & JUSTICE
永井ホトケ隆
(TBT・News)
*98ラスト・ライヴ 12/28,29 JIROKICHI〔高円寺)(33
39−2727)
最後のライヴを忘我のグルーヴで是非一緒に!
*1999/2/4目黒「ブルーズ・アレイ」で初Live決定。アメリカ風のゆ
ったりとしたクラブでトリック・バッグはどう出る?!*予約された方には割り引
きで良い席をリザーブします。
ブルーズ・アレイへCALL(03−5496−4381)
*1999 TRICK・BAG・NEW・YEAR・TOUR
1/12神戸チキン・ジョージ(078−392−0146)1/13京都タクタク
(075−351−1321)1/14名古屋トクゾー(052-733-3709)
3日間ともゲストにラスト・ソウル・クウィーン金子マリを迎えます。
GO! T・B GO!
'99 |