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永井”ホトケ”隆/tbt(tRICK bAG tRIBE) No.04
 

春まだ遠く酔いざめの朝帰りの身体に寒風が吹き付けます。我がTRICK BAGのウィル
スには強いはずのメンバーも小島、鶴谷が風邪にダウンしました。私たちは小島が
ふりまいたので「コジマ菌」と呼んでいますが、ひどい悪性で1月の関西、名古屋
ツアー前日に鶴谷がダウン!な、な、なんと肺炎。ツアーなど行くことまかりなら
ぬ!という医者の判断。バンマス、ホトケはフリーズ。ディスクトップに「泣き顔
」まででたほど。しかし、鶴谷は2時間の点滴を打ち、再起動して神戸へ現れた。
しかも翌日、翌々日も具合が悪くなったら点滴で再、再起動する覚悟と鶴谷は自ら
を叱咤してのツアーだった。みなさんも「コジマ菌」には気をつけてください。
今回のTBTのメールから5人のメンバーのプロフィールを毎回ひとりづつお送りしま
す。第1回目はギタリストの森園勝敏(メンバーはモリ、モリさんと呼んでいる)。

♪森園勝敏♪1954年東京生まれ。日本の元祖プログレッシヴ・ロック・バンド
「四人囃子」のギタリストであり、ヴォ−カリストであったモリさんは12才で突
如ベンチャーズに狂い、ギター(しかし、エレキではなくアコースティック・ギタ
ー。ホトケの家にも親父さんのアコースティック・ギター、商品名「古賀ギター」
*古賀政男先生公認モデルがあったという。)を弾き始める。モリさんのミュージ
ック・ヒストリーの始まりだ。エレキを手に入れてからはビートルズを初めに、キ
ンクス、スペンサー・デイビス・グループなどのブリティッシュ・ロックに熱中し
、その後ロックの本流が変遷していったようにクリーム、ジミ・ヘンドリックスな
どのサイケデリック・ロックへと移り変わる。そして、高校の時、同期生だった岡
井大二(Dr)中村真一(B)とハンドを組み文化祭などで演奏していた。そのバンド
名がザ・サンニン!そして、そこに坂下秀実(key)が加わってザ・ヨニンズ・・・
にはならずに「四人囃子」となった。
1971年5月「四人囃子」結成。オリジナル・メンバー:森園勝敏(G)岡井大二
(Dr)中村真一(B)坂下秀実(key)。
1972年当時カナダから帰国した「フラワー・トラベリン・バンド」の帰国コン
サートの前座に「四人囃子」が抜擢される。73年の7月初のワンマン・コンサー
ト。この当時のライヴ音源としては貴重なこの年8月の俳優座のコンサートが記録
されたアルバム['73四人囃子]<東宝レコード>が残っている(発売は78年)。そ
して、いよいよファースト・アルバムを発表。
1974年6月東宝レコードより「四人囃子/一触即発」がリリース。TBのメンバ
ーでは一番古いつき合いのホトケは当時「ウェストロード・ブルースバンド」で、
四人囃子とツアー最中に森園にMCエッシャーの画集を見せられたことを覚えてい
る。また、この年ホトケは初めて渡米したが、彼のパスポートの写真を撮ったのは
モリさんの父上だ。8月、伝説のビッグ・イベント「郡山ワン・ステップ・フェス
ティバル」には共に出演。一触即発に「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」という曲が収
録されているが、このコンサートの時、四人囃子ライヴ中にステージの後方の夕刻
の空に円盤が3機飛んだのをホトケは数人と確認。四人囃子は当時から音響、照明
にも力を入れていたが、この「ワンステップ」ではマイク・スタンドに取り付けら
れた花火がグルグル回った。森園談「熱くて、熱くて、ちよっとヤケドしたよ(笑
)」
この後、キーボ−ドの茂木由多加が参加。中村が脱退してベ−スに佐久間正英が参
加。1976年CBSソニーに移籍して、セカンド・アルバム「ゴールデン・ピクニッ
クス」を発表。その中に収録されているモリさん作曲の「レディ・ヴァイオレッタ
」は言わばフュージョン的作品だが、ロック、ラテン・フレイヴァーを含み彼特有
のアナザー・サイドヘ誘い込むような美しい曲。この後モリさんは四人囃子を脱退
。以後はソロとして活動。
1977年ギタリスト和田アキラの「プリズム」のアルバム2枚に参加したり、「
ジュリエット」、山内テツの「グッドタイムス・ロールバンド」などのレコーディ
ング、ライヴにゲスト・ギタリストとして参加。そして、「ウエストロ−ド」の山
岸潤史、秋山一将、渡辺香津美、そして昨年亡くなった大村憲司など当時の話題の
ギタリストたちを集めたアルバム「ギター・ワークショップ(ビクター)」に参加

1978年初のソロ・アルバム「BAD  ANIMA」(キング)をリリース。そ
の後ソロ・アルバムを「COOL ALLEY」(キング/79年)「ESCAPE
」(キング/ 80年)「SPIRITS/森園勝敏withバーズ・アイ・ビュー」
(キング/81年)「JUST NOW&THEN 」(キング/82年)「4.17
PM 」(ビクター/85年)「CROSS TALK」(ビクター/90年)「DO
WN FORCE」(東芝/91年)と発表している。また、94年にはジョニ−吉
長の「JRSM」(江戸屋)また95年プリズムの「PRISM WITH FR
IENDS」(イースタンゲイル)に参加。他にもノヴェラ、土屋昌巳、マルタな
どのレコーディングに数多く参加、スタジオ・ミュージシヤン、プロデューサーと
しても活躍してきた。プログレ・ロックだけでなく、ロック全体への見識は豊富で
、音そのものについても多くの知識をもっている。彼が独自のフィールドを持った
秀逸なミュージシャンであることは明白。プログレッシヴとは進歩的な、進行して
いるという意味だが、彼はいまも進歩的で柔軟、軽妙で、クールだ。変幻自在なギ
ター・テクと多彩な音色をもっている希有な存在だ。現在はTRICK BAG、
そしてTBのブラザー、金子マリの「ハード・ブルーズ・ドライヴ」にも参加。ス
タジオ・ワークもしている。ブルーズ、R&B、ファンク、ジャズなどブラック・
ミュージックに浸かりながら活動してきたホトケがモリさんをギタリストに選んだ
ことに驚いた人も多い。しかし、カヴゥーの曲ひとつ演るにしてもコピーで終わら
せず、自然とオリジナリティが表現されるにはモリさんの堅固な基本と、深い見識
と、多彩な音がバンドに必要と感じたからだという。ブルーズを自由な表現のでき
る音楽と考えるホトケはこれからTBが作る「21th・Century・Blu
es」をフォーム(形式)だけでプレイする人は必要なく、モリさんの万華鏡のご
ときカラフルな音の輝きこそ必要だと考えた。しかし、モリさんがユーモアとウイ
ットにあふれた人であることも何度かステージを見た方はお分かりだろう。
(モリさんおとぼけエピソード)
1.「曲り角を3回回ると方向が分からなくなる」というのがバツグンでした。彼が
度々遅刻するのはそれが原因でしょうか?しかし、これはおとぼけではなくボケで
はないか説も。
2.ホトケが楽屋でモリさんの着ていたボタンダウンのシャツを見て「あっ、懐かし
いなそのシャツ、オレも高校生の頃そんなの着てたわ」と言ったところ、モリさん
は「うん、これ高校の時のやつ」。
3.お笑いの好きのモリさんが新宿末広亭に行った。平日の昼の末広亭は客席がガラ
ガラ、しかも誰も笑わない。ところがモリさんは駆け出しの落語家の話にゲラゲラ
笑い続けた。すると、その落語家はふと話をやめて、モリさんに「お客さん、そん
なにおもしろいですか?」と訊いた。
みなさんから見るモリさんはどうでしょう。メールをください。最後に今月、2月
18日は森園勝敏のバースディです。曲や演奏への質問、スケジュールの問い合わ
せ、ライヴの依頼などなんでもメールしてください。また、閉塞され、退屈な日常
に不満をお持ちの方、どこまでも疾走していく犬のようなピアニストを見たい方、
熊のプ−さんはハチミツがすきですが、めちゃ酒好きの二日酔いの熊が倒れずにベ
ースを演奏するのを見たい方、宇宙人が修行僧のようにドラムを叩くのを見たい方
、遅刻してきても摩訶不思議な音で全員を煙に巻くギターを弾く妖怪を見たい方、
そんなメンバーを抱えて冷汗を流しながらCOLD SWEATを歌い、人生の谷
(山じゃない)から谷を駆け巡るアホな歌手が見たい方、明日の活力に是非一度T
RICK BAGの演奏にあなたの友人、恋人、同僚、上司、先生、親、愛人、パ
トロン、また知人の自己破産者、失職者、資産家、ニューハーフ、代議士などお誘
い合わせの上御来場ください。では、次回のメールまでBYE!        
Trick BagTribe




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