「おまえが行ってしもてからずっと淋しい夜を送ってる。枕にどたまを載せて一晩
中泣いているオレや」Earl King "Those Lonely Lonely Nights 」
#アール・キング、天国へ・・/
ニューオリンズにいるキーボード奏者の吉弘千鶴子さんから「アール・キングが亡
くなった」というメールが来たのが4月19日だった。このメルマガのタイトル「
tRICK bAG tRIBE」の"Trick Bag"が彼のヒットの曲名であることからして僕がどれ
ほど彼のファンであるかわかってもらえると思う。僕は過去この"Trick Bag"と彼の
"Those Lonely Night"をレコードに残しているが、アール・キングの個性的なソン
グ・ライターとしての才能は多くのミュージシャンに認められているところで、
"Trick Bag"はミーターズのアルバム、ベター・デイズにいた亡きロニー・バロンの
ソロに、そして以外なところでは蛇使いのおっさんみたいなロックのアリス・クー
パーのアルバムに入り、"Those Lonely Lonely Night"はジョニー・ギター・ワトソ
ン、そして"Come On(Let the Good Times Roll)"はジミ・ヘンドリックスがカヴァ
ーしたことで有名だ。また、ネヴィル・ブラザーズ、プロフェッサー・ロングヘア
ー、ミーターズなどにレコーディングされている"Big Cief"はニューオリンズの定
番曲のひとつとなっている。そして、彼のステージを観た人なら思わず笑みを浮か
べながら、あの派手なスーツと「かっこいい」とは言い難い「背中弾きギター」や
「大股開き弾きギター」アクションの数々、そしてあのもっこりとした歌声を思い
出すはずだ。そう、時々かましてくれるミス・トーンもね。それらすべてがじわじ
わと心に迫ってきて泣きたいような、笑いたいような気分にさせる希有なブルーズ
マンだった。しかし、少し長かった入院生活を終えて来日した一昨年のパークタワ
ー・ブルーズ・フェスの時は歌声にも張りがなく、ミストーンも多く、それがもう
笑えないところまで来ていた。アールを尊敬するベースのジョージ・ポーターや山
岸潤史のしっかりしたバッキングに支えられ何とかステージをこなしたが、アンコ
ールでの全員セッションではアンプの上に座って居眠りをしてしまったアールだっ
た。そしてその夜遅くからJirokichiでパークタワーの出演者たちと僕達のシークレ
ット・ギグがあったけどアールは体調が悪く来れなかった。優しさと責任感から「
アールがホテルにひとりになってしまうから・・」と言ってジョージ・ポーターも
来なかった。思い返せば彼の2度目の来日だったか、初めて青山「CAY」で演奏後の
彼と話した時「僕はあなたの"Those Lonely Lonely Night”をレコーディングした
ことがあるくらいあの歌が好きなんです。素晴らしい曲だと思います」と言ったら
、彼は一言「おまえ・・・印税払ってるか・・」と言った。「そうか、オレの曲歌
ってくれてんのか」と喜んでもらえると思ったら開口一番がそれだったので少し驚
き「はい、もちろん」と答えると「そうか、よしよし」と言った後、山岸に「ギャ
ルはおらへんのか?」と言いながら店内をうろうろしていた。「でもな女が来ると
恥ずかしがり屋やからな、口説くとこなんかでけへんねん、おっさん」と山岸の後
日談。音楽的にもう少し書くと、アール・キングは彼の憧れだったニューオリンズ
の先輩ブルーズマン、ギター・スリムの影響を強く受けていた。ギター・スリムの
大ヒット「The Things That I Used To Do」は先日のギグで17才の藤倉君が歌って
いたが、多くのブルーズマンに歌い継がれてきた名曲だ。しかし、ギター・スリム
が当時のブルーズマンに影響を与えたのは音楽そのものだけでなく、その派手な衣
装とステージ・アクションも込みだった。アールがギター・スリム・スタイルを正
統に継承した最後のブルーズマンではないかと思う。アールの死でギター・スリム
・スタイルはもう見れなくなった。ニューオリンズでセカンド・ラインのリズムを
マーチング・バンドが演奏する中、恐らくたくさんのミュージシャンと地元の人達
に見送られて彼は天国へ行くのだろう・・さよならアール・キング。
そして、アール・キングが亡くなった2日後に今度は敬愛するニーナ・シモンが70才
で亡くなったことを知った。
#ニーナ・シモンの死
ニーナ・シモンの太く、低く、静かな声はいつもブルーズにあふれている。ラブ・
ソングでも日々の暮らしの歌でも。ニーナは希望の歌もたくさん歌っているが、ど
こかの国の若造の薄っぺらな希望の歌ではなく、いくつもの困難を乗り越えたあと
の希望の歌だ。抗議し、訴える歌にはゆるぎない考えが聞こえる。しかも優れたピ
アノの技巧の持ち主でもある。でもその技巧に溺れるプレイはひとつもない。この
偉大な女性シンガー、ピアニストの死に落胆した人はたくさんいるだろう。なぜな
ら彼女の前にも彼女の後にもニーナ・シモンのような人はいないからだ。子供の頃
、ゴスベル・シンガーのマリアン・アンダーソンが好きで教会で歌い始めたニーナ
だったが、その当時からピアニストとしては卓越した才能を見せていたという。人
前で演奏した最初は10才の時。その時彼女を傷つけるある出来事が起こった-娘の晴
れ姿を見ようと最前列の席を取っていた彼女の両親は、白人客の圧力によってその
席を譲らなければならない羽目になってしまった。ただ両親が黒人であるという理
由だけでだ。後に黒人公民権などのアフリカン・アメリカンの政治社会的な運動に
も深くかかわるニーナは恐らく子供の頃からアフリカン・アメリカンなら何度も受
けるこのような不平等、不公平に敏感だったのだろう。8人兄弟である彼女は17才か
らピアノの伴奏やピアノを教えることで一家の生計を助けていた。彼女の夢は黒人
で初めてのクラシック音楽のコンサート・ピアニストになることだった。そして彼
女は後援者から経済的な援助を受け、念願のジュリアード音楽院に入学しピアノを
学ぶことができたが、しばらくするとその援助が減り生活が苦しくなりコンサート
・ピアニストになる夢を断念せざるを得なくなった。最初はバック・ピアニストと
してクラブに出ていたが、歌を歌うともっといいギャラが貰えると知り歌も歌うよ
うになった。あれだけの才能をアメリカの音楽業界が見のがすはずはなく、57年頃
からベツレヘムというマイナーの会社からアルバムをリリース。59年に発表したジ
ョージ・ガーシュインの作った「I Loves You Pogy」がトップ20入るヒットとなり
、ニーナ・シモンという個性的な歌手、ピアニストは広く世間に知られることにな
った。彼女自身もカテゴライズされるのが好きではないと言っているように、ジャ
ズ、ブルーズ、ゴスペル、ソウル更にボブ・ディラン、ビートルズなどのロックも
歌いそのレパートリーはかなり広い分野に渡っている。僕が彼女の歌に魅かれた最
初のアルバムは71年リリースの"Here Comes The Sun"というアルバムで、それには
ビートルズのタイトル曲はじめ、ディランの"Just Like A Woman"そしてスタンダー
ドの"Mr.Bojangles"などが収録され、最後は"My Way"で終わっている。僕は"My
Way"という曲がいいと思ったことがないが、このニーナのヴァージョンだけは好き
だ。しかし、それ以前の60年代、彼女は黒人の公民権運動にかかわり合いながら、
のちにアレサ・フランクリンがカヴァーした"To Be Young, Gifted and Black"、
4人の黒人の子供たちが教会で爆発した爆弾で死亡した事件に対して抗議した
"Mississippi Goddam" や黒人としての自由を願った
"I Wish I Knew How it Would Feel to be Free"など差別の撤廃を希求した歌や黒
人の素晴らしさを讃える曲をたくさん歌った。1971年から彼女はアメリカを離れ、
カリブ、ヨーロッパ、アフリカを転々と移り住んでいた。それはレコード会社やエ
ージェントとの軋轢もあったが、改善されない人種差別に対する嫌悪でもあった。
また、税金がベトナム戦争に使われるのに反対する意志を示すために彼女は税金の
支払いを保留していたが、78年に一度帰国した時、税金の滞納で逮捕されたことも
ある。ずっとアメリカが嫌いになっていたのだろうか?亡くなったのはフランスの
プロヴァンスだった。女ミュージシャンでここまで政治的で社会的な考えを行動に
移している人もあまりいないが、折しも国連を無視しイラクで戦争を始めてしまっ
た故国アメリカに対してニーナはどう想いながら天国へ向かったのだろう。初期の
アルバム"Little Girl Blue"66年の"Nina Sings The Blues"70年の"Nina
Simone
and Piano!" などは是非一度聴いてもらいたいアルバム。彼女の大ファンである我
が同朋、音楽編集者の川田氏が最近送ってくれた"Nina Simon Live At New Port"も
素晴らしかった。その川田氏からのメールには「ニーナ・シモンは死んだらいかん
」と書かれていた。
#ロベン・フォード・ライヴ・リポート
いわゆるブルーズ・ファンといわれる人達の間ではあまり話題にならないが、ブル
ーズ系のギターが好きな人達の間では「嫌になるほどギター上手いもんなぁ」と言
われつづけてきたのがロベン・フォード。4/11初めて生で聞いたロベン・フォード
にライヴ最中に僕も何度も「うまいなぁ」と唸ってしまった。彼のアルバムを最初
に聞いたのは1972年の黒人ブルーズシンガー、ジミー・ウィザースプーンとのライ
ヴ・アルバムだった。その時も「うまいなぁ」とは思ったが、その頃僕は黒人ブル
ーズにどっぷり入り込み、その魅力に白人ブルーズまで気持ちが回らなかった。
70年代の中後期にロベン・フォードはジョニ・ミッチェルやジョージ・ハリソンの
アルバムに入るなど、スタジオ・ミュージシャン的なフィールドにいたと思う。そ
の後その芸風がジャズ・フュージョン寄りになり自分からは遠なった感じがした。
80年代中ごろにはマイルス・ディビスのツアーに参加したり、渡辺貞夫さんとやっ
ていたこともあり「ジャズへ行ったか・・」と思っていた。ところがロベン君何を
思ったのか、92年に突如「The Blue Line」というブルーズ志向のトリオを結成。ト
リオのブルーズ系ギターバンドというと亡きスティービー・レイボーンをどうして
も思い浮かべるが、テキサス生まれのレイボーンはスピード感と荒々しさが特徴の
ロック色の強い芸風だったが、ロベンは先に書いたように幅広いフィールドで活動
してきたミュージシャンなのでロックもジャズもフュージョンもファンクも入った
独自のブルーズとなっている。ベース/Roscoe Beck 、ドラムス/Tom Brechtleinと
いうトリオの「The Blue Line」の特徴はロベンの最初の憧れだったギタリスト、マ
イク・ブルームフィールドやポール・バターフィールドに捧げたアルバムもここ数
年発表し、ブルーズ度が高まっている。汗をいっぱいかいて、ギターを弾きまくり
、荒々しくプレイするだけがブルーズじゃないとはロベン・ファンの山岸潤史の言
だが、それはオマエちゃうのか?と突っ込みたくなりました。。
#スケジュール
高円寺Jirokichi で新たに始めたNew Blue Power のシリーズには是非一度足を運ん
でください。若手の才能のあるブルーズ、R&B系のミュージシャンを紹介し、互いに
触発されるようなセッションを組もうと楽しみながら四苦八苦している。そして、
先月から葡萄館でも始めたBlues Paradise を名古屋JBHouseで始める。サポートし
てくれるのは元アップ・タイトの木下和彦とバレーボールズの 横山一明。それから
ピアノのヤンシーとも新しいデュオを始めるが、これは先々オリジナルをやること
を視野に入れている。そろそろオリジナルを作る気運の周期が来たようなので・(
あまりに周期が遅いが)。
5/14(wed)京都拾得/ Blue Moments ホトケvo&g 森俊樹g&vo 中島克來b
5/15(thu)大阪塚本ハウリン・バー/Blue Moments ホトケvo&g、森俊樹g&vo
5/16(fri)大阪心斎橋 BIG CAT/永井”ホトケ”隆vo&g 鮎川誠vo&g 小堀正b 岡曙
裕dr
5/17(sat)名古屋JB House/Blues Paradise ホトケvo&g 木下和彦g 横山一明g
5/18(sun)名古屋Otis /Sings Otis Redding ホトケvo&g 木下和彦g
5/24(sat)高円寺Jirokichi /ホトケvo,小島良喜p,大西真b,正木五郎dr,後藤輝オsax
5/25(sun)水戸ブルームーズ/ホトケvo,g&ヤンシーkey,vo
5/28(wed)船橋 月/ホトケvo,g 中野 靖之g 上村秀右g
5/31(sat)中野ブライト・ブラウン/ホトケvo,g+LEO vo+コボリg,vo
6/7(sat) 熊谷/葡萄館 ホトケvo,g上村秀右g
6/18(wed)船橋 月/ホトケvo,g 中野 靖之g 上村秀右g
6/20(fri)荻窪 ルースター/ホトケvo,g&ヤンシーkey,vo
6/21(sat)横浜 ストーミー・マンデー/松川純一郎バンドのゲスト、ホトケ
6/24(tue)高円寺Jirokichi /New Blue Power vol2ホトケvo,g 藤倉つぐひさg,vo小
川翔g 金田洋一b 米元美彦dr
6/25(wed)高円寺Jirokichi /New Blue Power vol3ホトケvo,g LEOvo ,Kyonkey 上
村秀右g 金田洋一b 米元美彦dr
6/28(sat)水戸ブルームーズ
問い合わせ先:JIROKICHI:03-3339-2727 ルースター:03-5347-7369 /
Otis:052-241-6975 「月」/047-424-0706 ブルームーズ/029-231-8955 拾得
075-841-1691 塚本HOWLIN' BAR/06-4808-2212 Stormy Monday/045-664-2085
J.B STUDIO/052-6931-1966 中野ブライト・ブラウン/3389-4117 熊谷/葡萄館
048-524-5407
ライヴはその一日だけの生もので、二度と同じものは聴くことが出来ない。テレビ
を捨ててライヴに行こう!ニーナ・シモンのライヴを一度も見ることが出来なかっ
た。そのことを僕はたぶん一生悔いる
と思う。 |