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昔、70年代の最初、この西新宿から歩いて15分ほどの十二社池ノ下という街によく行った。
そこには「マガジン1/2」という小さなライヴハウスがあり、そこがウエストロード・ブルーズバンドが初めて出演した東京の店だった。東京にもまだライヴハウスは少ない頃だった。私たちはトヨタのハイエースに楽器を積み、メンバー5人が乗って京都からこの西新宿のライヴハウスに来ていた。ホテルに泊まるような余裕はまったくなく経堂や目黒の友達のところに泊めてもらうか、そのライヴハウス「マガジン1/2」でごろ寝していた。ライヴはガソリン代や高速代を差し引くとほとんどギャラにはならなかった。金がなかったためこの頃の食べ物の記憶はほとんどない。それでも元気だった。
故塩次伸二ともこの西口から店まで何度か歩いた憶えがある。西新宿には高層ビルはまだ京王ホテルぐらいしかなく、いまの都庁あたりは更地になっていた。大きな土管がいくつも置かれたその更地でウエストロード初めてのプロモーション写真を撮った。レスポールを買ったばかりの山岸はまだ眼鏡をかけていた。伸ちゃんは花柄のシャツが好きでドラムの照夫は白いコットンパンツをはいていた。ベースの小堀は青いコーデュロイのジャケットを愛用していた。私は腰のあたりまで髪が伸び体重は48キロしかなかった。
希望よりも不安の方が多い日々だった。ただブルーズをちゃんと歌えるように、演奏できるようになりたいとそれだけを思っていた。40年ほど経ったいまもそう思っている。
11月のある夜、新宿のデパートの最上階でひとり晩飯を食べたあと、そんなことを想いながらこの夜景に見入っていた。
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