♪After The Secret Gig One And Only....Henry Butler
@12/7のJirokichiでの"Midnight Secret Gig"へはtbtのみんなは来てくれなかった
のでしょうか?Gigへの感想メールなどが少ししか届いていない。木曜日の深夜でし
かも師走で朝から仕事の方々には敬遠されたかも知れないが、あれは徹夜で仕事に
行ってでも聴く値打のあるセッションだった。毎年12月に新宿のパークタワー・ホ
ールで行われている”Park Tower Blues Festival”に「来日」すると山岸から聞い
たのは9月の終わり頃。今年は12/7から12/10まで開かれ、出演ミュージシャンはギ
ター上手い、キーボード上手い、ルックス結構イケてる、でも腰低い子供めちゃ可
愛い嫁はんべっぴんの<ラッキー・ピーターソンと彼のバンド>。次は<HARP
ATTACK> と名付けられたLazy Lester, Guy Forsyth 、Arther Williamの3人のブル
ーズ・ハーピストのグループ。そして今や全米ツアー250本を敢行する(おかでVoの
ハウスマンは減量に成功・・)人気のジャズ・ファンク・ロッキンバンド<ギャラ
クティック>、更に楽しみなのが山岸がギターを担当する驚異のニューオリンズ・
ピアニスト<ヘンリー・バトラー>だった。
@12/7にJirokichiの通常ライヴが終了してから山岸とセッションする約束はしたも
のの他にどういうメンバーが来るのかは未定だった。前日僕はカオス・モリと新潟
三条の”ビッグビート”の20周年記念ライヴに行っていて”来日”しているはずの
山岸となかなか連絡が取れず、やっと話したのが夜中3時。オレ「明日大丈夫か?」
山「バリバリやがな。今日なパークタワーの出演者と主催者とのミーティングがあ
ったんやけどな。ハウスマンがオレに明日どっかでギグやるんか?って言うてきた
から、やるでぇ言うてたら、ヘンリーが横から”オレも行ってええかな?”言うね
ん。”もちろん、ええよ”言うたら”それはどこでやんねん?”とか”ここからど
う行くねん?”とか聞くねん。そしたらギラクティックの奴等が”オレらも行きた
いなぁ”言うて、もう主催者の話なんかだ〜〜れも聞いてへんねん。ハッハッハッ
・・」。翌日新潟を少し早めに出た甲斐あって、パークタワーのライヴも見れて
Jirokichiへ駆けつけるとさすがJirokichi!すでにステージのセッティングはOKだっ
た。やがてゾロゾロと集まり始め、tRICK bAGの他に佐山雅弘、松本照夫、そして
Dr.のマーティ・ブレイシー、そしてベースの黒ダコ(Mr.Black Octopus)ポール・
ジャクソンもやってきた。最初に僕たちと山岸がやって後はフリーにどうぞ、とい
う形にしたが何しろヘンリーのピアノの凄さにみんな腰抜け状態。ピアノがあれば
”パブロフの犬”になる佐山も見てるだけ〜状態。その横でコジ犬も”ハウス”状
態。佐山曰く”オレはどんな早いオスカー・ピーターソンのフレイズも何をどうや
ってるか分かるけど、このおっさん(ヘンリー)だけはわからへん。見ててもわか
らへん・・・。”ピアノとキーボードと2台用意してあったが土石流佐山も火砕流小
島もステージに出なかった。この話だけでヘンリーがどのくらいのものか・・・想
像つくでしょう。オレはニューオリンズのクラブでピアノのすぐ目の前の席で、ヘ
ンリーの手を見ていて目が回って気持ち悪くなった(ホント!の話)。小島は「手
が4本ある」と言った。当日初めて見たモリは「あのピアノじゃ山岸もバッキングで
リズム切るしかないよなぁ〜」。
@そこへやって来た元”ヘッド・ハンターズ”、60年代終わりの”オークランド・
ファンク”メイカーのひとり、ポール・ジャクソンは楽屋でオレと鶴谷相手にアホ
話していたが、ヘンリーが弾き始めると"???" "Oh!""oooh,Yeah!!"早速ベースをケ
ースから出していた。途中ヘンリーがテンプテーションズの”Papa was a
rollin'stone”を始めるとポールもマーティも”♪Papa was a rollin'stone♪”の
大合唱。オレはすかさず「この歌はあんたらのことや・・」と言ってやったら二人
とも「当〜〜たり」とばかりにゲラゲラ笑ってました。1曲終わる度にポールが「演
れないかなぁ・・」と言うので山岸に言ってポールをステージに出した。黒ダコ
VS黒バッテラ=オークランド・ファンクVSニューオリンズ・ファンク。クラシックか
らブルーズ、ジャズ、ソウル、ゴスペルまで縦横無尽にミュージック・ワールドを
駆巡るヘンリーにやや押され気味のポールだったが、両者の激突は聴き応えがあっ
た。途中、山岸がオレにも入るように合図してきたが、ヘンリーが始めたその曲を
オレは知らなかったので入らなかった。しかし、しばらくしてそれがウィルソン・
ピケットの”Mustang Sally”だと気づいた。カヴァー曲に対するヘンリーのアレン
ジも実に独創的だ。しかし、いくつ曲を知っているのかヘンリーのレパートリーに
は驚く。それについていく山岸はじめバンドのメンバーの音楽的な幅の広さと深さ
も素晴らしい。ニューオリンズで鍛えられて山岸は「太く」なった。ギャラクティ
ックでも、ハウスマンでも日本のミュージシャンとの違いはテクニックのことより
、まずその「太さ」のように思う。日本のミュージック・シーンは細くて、狭い。
知らないうちに自分のパワーがスポイルされてしまう。狭い箱庭の、しかも井の中
の蛙になりかねない。あの数日でたくさんパワーを貰った。大阪では山岸がどこか
で聞いたことがあるなぁ・・・・と、始まったヘンリーの曲。それは山岸が初めて
聴くヘンリーの”スキヤキ”(上を向いて歩こう)だったそうだ。ああ、聴きたか
った。
パーク・タワーの最終日、ハウスマンは僕の顔を見るなり「Merry Christmas
Baby・」と歌いながら近付いてきた。僕がJirokichiのGigでそれを歌ったのを「め
ちゃ良かったでぇ」と言ってくれたが、他のメンバーもみんなそれが印象に残った
ようでみんなに「Merry Christmas Baby・・」と歌いかけられてしまった。「Big
leg woman・・・」と会うなり歌ったのはヘンリーだった。ちゃんと僕の声を覚えて
くれていたヘンリーからGIGがとても楽しかったと感謝の言葉をもらった。この言葉
を来てくれたみんなとミュージシャンとJirokichiのスタッフ、僕達のスタッフで分
かち合いたい。Thank you all
Live Schedule 2000-2001
12/27Jirokichi /「GIG FOR 2001」/塩次伸二G 小島良喜P 坂井紅介B 鶴
谷智生Dr 永井ホトケ隆Vo
jirokichi03−3339−2727
(♪2500)
12/30目黒ブルース・アレイ「天敵年末大セッション」 近藤 房之助(G,Vo)、永
井“ホトケ”隆(Vo)、正木 五郎 (Dr)、青木 智仁(B)、小島 良喜(Pf)、
ブッチャー 浅野(G)、森園 勝敏(G) ブルース・アレイ03−5496−4381
12/31 大阪心斎橋クアトロ/ Catch the groovy count down 21C/
23:00からの「BiG Horns Bee」のステージにホトケ飛び入り(予定4曲)その後
2001/2:00頃より 心斎橋Nest Saloonにて/New Year Gig/ホトケ、塩次伸二、ポー
ル・ジャクソンなどなど・・BHBもね。
2001
1/12 Jirokichi /コジ・カナ・ツル・ヤギ・ホットケー with Strings/
小島 良喜(P)、金澤 英明(B)、鶴谷 智生(Dr)、八木 のぶお(Hrm)、永井“
ホトケ”隆(Vo) <Strings Ladies>岩戸 有紀子(Violin)、矢野 晴子(
Violin)、矢野晶子(Cello)、大沼 幸江(Viola)
1/30 Jirokichi /tRICK bAG -1コジ犬+1光/小島欠席にて助っ人、須川光(org)
森園 勝敏G鶴谷智生Dr 永井ホトケ隆Vo 大
西真B
Good News
@モリがギターでサポートしている<瀬川洋&Travellin' Ocean Bluebirds>が2nd"リ
ヴ・イン・ライヴズ”をリリースした。ド太いRockです。1/13 19:00 ̄澁谷Tower
Records
そのプロモ・ライヴ後、すぐに金子マリと六本木「アルフィ」だそうだ。
@最初にも書いたニューオリンズのいま最も注目されているジャズ・ソウル・ファン
ク・バンド「ギャラクテック」のVoとして来日したハウスマンことセリル・デクロ
ウの初アルバム”The Houseman cometh”がP-Vineから1月にリリースされる。錚々
たるニューオリンズのミュージシャンで録音されている。もちろんBrother Junも入
っている。
@そのBro.Jun Yamagishiがニューオリンズの超パワー・女性ヴォーカル、Marva
Wright(マーヴァ・ライト)の新譜(Marva)の副プロデュースとアレンジをすべて手掛
けている。Little Willie Johnの"Let Them Talk" The Bandの"The Weight"
Bob
Dylanの"Knockin' on Heaven's door"など多彩な選曲だがマーヴァの味がよく出て
いる。ただ発売元がオーストラリアの”AIM”というレーベルでどのくらいの枚数が
日本に入ってくるか・・・見つけたら迷わずget!。
Good bye 2000 Hello 2001
♪今年も友人が何人か亡くなり葬儀に出席したり、弔電を打ったりする度に悲しさ
とはかなさに気落ちするが、身近な人の死は怠惰に生きるなという警告のように思
える。
先日ライヴのお客さんが少なかった翌日「とてもいいライヴなのにお客さんが少な
くて残念」とか「お客さんが少なくても一切手抜きなしの素晴らしい演奏でした」
といったメールを頂き、「今度は友達を誘います」とか「部下をつれて来ます」と
か気を遣ってもらった。当たり前のことだが、お客さんはたくさんいた方がよい。
それはバンドを存続させるためにも、ライヴハウスを存続させるためにも、そして
「祭」であるライヴを華やかなものにするためにも必要なことだ。しかし、集客が
少ないからと言って、パワーを落とすことはできない。何故なら、まずステージ上
でメンバー同志の音の会話からはじめなければならない。パワーのない音(言葉)
は相手に届かないことを僕達は知っている。それをやると一緒にステージに上がれ
なくなる。ライヴをやっている時間、僕達は同じひとつの空間で同じ時間を過ごし
ているが、その貴重な時間を真剣に共有できない相手とは一緒にプレイしない。僕
達は毎日まったく同じ一日を過ごすことがないのと同様に、毎日同じ演奏はしない
(いやできないというべきか)。気分は毎日違うのだから。聴いている方々も手を
打ちたいひとは打ち、立って踊りたければ踊って、目を閉じて何か風景を見たけれ
ばその心に映して、流れていく音に乗せて魂を自由にさせてほしい。そして、全員
の魂が自由になった時が僕たちの最大の喜びだ。そういう時間を互いに過ごすこと
、時間をそこで「分かち合う」ことでもある。「分かち合う」・・・・これが僕に
とってとても大切なことなのです。来年もよろしく。呼んでくれれば地の果までも
いきますから声かけてください。。 |