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永井”ホトケ”隆/tbt(tRICK bAG tRIBE) No.29
 
夏と言えば「想い出」。「夏が来れば想い出す、はるかな尾瀬・・・」と中学の頃
、音楽の時間にかなりしつこくこの歌の合唱を練習させられた想い出が私にはあり
ます。「尾瀬」にはまだ一度も行ったことがありませんが「八瀬」には強い夏の想
い出が心に残っています。しかし「八瀬/やせ」と言ってもみなさん御存知ないと思
うので説明しますと、京都の北東部にある遊園地のある場所で京都人ならまず「八
瀬遊園」が浮かぶはずです。現在はどうなっているのか、私が70年代前半京都にい
た頃も遊園地としてはすでに「時代遅れ」の部類に入っていたと思います。関西で
はすでに万国博覧会の後にできた遊園地が人気No.1の頃で、八瀬遊園にはプールも
ありましたが、「ナウイ-ヤング/NowいYoungたち(時代の先端をいく若者たち・・
という意)」はすでにホテルのプールなどで遊び始めていた時代です。なのに・・
だのにその時・・・私は8月のカンカンに太陽が怒り狂った猛暑の下、時代から残さ
れた八瀬遊園のプールサイドでフランク・ザッパの奇妙なブルーズを歌っていたの
でした。プリプリのビキニのヤング・ギャルでもいたなら暑さも嬉しい要因となり
ますが、閑散としたプールにいるのはブデブデのおばはんとその子供たち・・・・
・。しかもオバたちは水の中ですが、私達はプールサイド。私達の演奏をうるさそ
うに遠くから眺めるオバ。そして、無視してキャッ、キャッ叫びながらプールサイ
ドを走り回るガキ、いやお子さまたち。グギャー!と嬌声を上げ水しぶきを上げお
子さまたちがプールに飛び込む度に私の心の温度は上がり、腹ワタは煮えくり返っ
たのでした。あのブルーズな夏を私はいまも忘れません。リメンバー!ヤセユウエ
ン!
[A Memory Of This Summer]夏の思い出さて、今年の夏の思い出はなんと言っても
16才のブルーズボーイ、藤倉嗣久と東海、関西を4日間ですがツアーしたことです。
前にも書きましたが現在高校生の藤倉嗣久(しかし、画数の多い名前だ。森園勝敏
、近藤房之助などと並ぶなぁ・・)はブルーズをやりたいのにブルーズをやろうと
いう同志に巡り合えていない。もちろん、年上のおっさん連中ならいるが、できる
なら同世代の者とかって森園が「四人囃子」を作ったように、房之助が「ブレイク
・ダウン」で全国を回ったように、フラッシュ金子が「米々クラブ」をやっていた
ように、私が「ウエストロード・ブルーズバンド」を結成したように「バンド」を
やった方がよいと思う。たとえ「八瀬遊園」で腹ワタ煮えくり返ったとしても・・
だ。同世代同志は互いに意見も言いやすいし、若いから自我のぶつかり合いから喧
嘩もあるだろうが、目標のライヴやコンサート、レコーディングなどをやり遂げた
ときの達成感は何事にも換えがたい。そういう気持ちは年を経ても自分のキャリア
の大きな土台となるはずだ。米国ではどんな街にもひとつやふたつ「街で有名な」
ブルーズバンドがいるが、ところが日本・・もう言うのはやめよう。とにかくこの
夏休みを利用して藤倉を東京以外の場所に連れ出した。いつも同じ場所、同じミュ
ージシャンとやっていても刺激がなくなってくるだろうし、あわよくばブルーズの
同志を見つけられるだろう。ツアー・タイトルは「ブルーズ道場破り」最初は大阪
「NEST SALOON」。ここではブルーズ・ギター・マスター塩次伸二の弟子たちとのギ
ター・バトルが1部から行われ、さすが塩次の弟子たちは上手く藤倉も刺激を受けた
ようだった。2部では御大塩次が登場。最初は比較的優しく相手していたが、次第に
途切れない、流れるようなフレーズからアウトしてまた見事に戻る流麗な塩次の奏
法に藤倉はメッタ切りされたが、終わってから塩次は優しく何か指南していた。翌
日は私のブルーズの里とも言える京都「拾得」。バックは私が昔から知っているそ
の地元ミュージシャンに頼んでやってもらったのだが、この日はドラムに元憂歌団
の島田和夫、ベースに元花神の南角光司、ギターに元ファッツ・ボトルの田中晴之
というかっての関西ブルーズブームの全盛を思い出させる布陣。この鉄壁のバック
にツアーで毎日歌った「Sky Is Crying」あたりから調子の出てきた藤倉は、この日
飛び入りの対戦相手もいなかかったためかマイ・ペースでいいギターを弾いた。
翌日は名古屋「TOKUZO」。かって私がアルバムをプロデュースしたことのある元ア
ップタイトのギター木下和彦にメンバーを集めてもらい、ドラムは元アップタイト
の早川泰夫、ベースは若い加藤タケシという布陣。一瞬木下がムキになっていたと
いう話も出たほどいいギターを弾いた藤倉だが、いいプレイをした理由のひとつは
自分と同世代の17才のブルーズギター・ボーイ小川君が飛び入りで参加したからだ
。最初木下に紹介された時は金髪で愛想のない表情の小川君だったが、藤倉と並ん
でギターを弾き始めるとこれがなかなかやる。藤倉も後に「自分と同世代であんな
にブルーズを弾けるギタリストに初めて会いました」と言った。思えば木下と初め
て会った頃、木下も他人を警戒するような目つきをしていたが、終わってから「良
かったよ」と言ったらニコッと笑った顔は私から見ると可愛い17才だった。そして
、別れ際、楽屋で連絡先の交換をしている藤倉と小川のふたりを見て「なんだかい
いなぁ」とふんわりした気分になった。翌日の松坂「マクサ」ではやや年はいって
いるが山口君というギタリストが飛び入りで登場。しっかりした正統派のブルーズ
ギターを披露してくれたがそれも藤倉には勉強になったと思う。松坂から帰る朝、
せっかくだから松坂肉を食おうと朝からレストランに入った。入った店が観光客相
手だったため値段はやや高かった。肉を土産に買って帰ろうと思っていたらしい藤
倉は「肉買うと破産しますね」とひとこと。駅の売店で「肉のしぐれ」を買ってい
た。大阪へ行く私とは松坂で別れたが、夜お母さんから「帰ってきたらバタン・キ
ューでもう寝ています」とメッセージが入っていた。やっぱり疲れたんだろうな。
私はその数日後、藤倉と小川が日比谷野音のステージでギター・バトルをやってい
る夢をみたが、なぜか水玉ギターのバディ・ガイも参加していた。でも、それはい
つか正夢になるかも知れない。
スケジュール
9/25 26の両日以前私が主催していた異種格闘セッション「Endless Boogie」を、最
初に始めた店「JIROKICHI」から再スタートすることにした。前のシリーズは最後日
比谷野音にまでいき、通算70人以上のミュージシャンたちが出演してくれたが、今
回は次世代への音の受け渡しもひとつの大きな要素にしたいと思っている。再開に
あたって第1回のメンバーは以下のとおり。
「Endless Boogie2002/JIROKICHI」
マリちゃんの御子息、現在評判のロックバンド「RIZE」でドラムを叩く金子統昭と
正式な初セッション!
9/26(木)小島良喜key,ブッチャー浅野g,松原秀樹b,正木五郎dr,永井ホトケ隆vo]
私にとってはワンワン小島と久しぶりのセッション。そして、この前松原君と一
緒にやった時「誰かやってみたいドラマーっている?」って訊いたら、まっ先に返っ
てきたのが「正木五郎さん」。で、はじめてのふたりのリズム・セクションだ。フ
ァンク・まみれのステージになると思う。
9/28(土)水戸ブルームーズ 先月はじめて船橋の「月」で試みたブルーズ・ライ
ヴ&トークの「ブルーズパラダイス」を今度は水戸でやる。一緒に行ってくれるの
は「仏壇返し」のヤスこと中野靖之。「なぜ私がブルーズにハマったか」が第1回目
のお題。

 




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