#「ファンクの帝王」オヤジィ!!アニキィィィィ!!大好きな「ファンクの帝王」
ジエィムズ・ブラウンの"Lost Tapes"というビデオを貰った。なかなか興奮させら
れる代物で最後まで一気に見てしまった。1979年頃のカリフォルニアでのライヴ・
フィルムでいまもJBの「喜び組」、いや「コーラス組」の大局としてニラミを利か
すマーサ・ハイがまだ若く、肌も張り、身体も締まっている(大きいのは大きいで
す・・)ように見える。そのマーサの右には年食ってるのか若いのか不明な同じく
コーラスの白人の姐御、そして左にマーサより遥かに若い(と思われる)愛嬌のあ
るグラディス・ナイトのNGみたいなパツパツの黒人お嬢さん。このコーラスがステ
ージ右手にそして左手の薄暗がりに「JB・Horns」のホーン隊がいる。たぶんカメラ
は2台しか使っていない。時折サックスの古株クレア・ピニックニィーの姿が見える
がくりくり目のサックスの*「飯男」ことメイシオ・パーカーはいない。(*「飯
男」:70年代のある日JBのアルバムを聴いていると、途中で何度かJBが「
Maceo!Maceo!」と叫びメイシオにソロを促す声が聞こえる。それを僕の友だちが「
このさぁ、飯を!飯を!って何を言ってる訳?」と訊ねるのでメイシオ・パーカー
のことを説明した。「飯をくれって訳はないよな・・ハハハハ、こいつは飯男だぁ
・・ハハハ」と友達はメイシオを飯男と命名した)。そして、ホーンズの右にオッ
トセイのような顔のパーカッション、そして更に右。つまりステージ中央にドラマ
ー2人その右にギター、ベースがいるがほとんど見えないし、アップのカットもない
。そのギターのやや前にキーボード兼コーラス兼MCの若いルックス良のひょろっと
した黒人、こいつは以前生JBの時観たことがある。JBショー名物の司会オヤジ、ダ
ニー・レイがいないのが残念。若者ではダニーのいかがわしい「夜の銀狐」的風味
は出せっこない。しかし、このビデオのJBはなぜか終始ニコヤカだ。コーラス組に
もバンドのメンバーにも客席にも笑顔を振りまいている。客席にむかって投げキッ
スもする。何かいいことがあったのだろうか?演奏にも力が入っており白のハイネ
ックのシャツがすぐに汗にまみれになり、JBのビーチク(乳首)が浮き出ている。
JBのビーチクで興奮するのは1部の方だろうが、JBの歌とバックはハイ・テンション
!グレート・グルーヴ!”Sex Machine”に至っては終わらないんじゃないか?と思
うほどのロング・グルーヴが続く。つまり、JBの即興、アドリヴのアイデアがステ
ージ上で次々に出たのだろう。あまりお目にかかったことのない「JBタンバリンを
振るの図」が見れる。ステージ後のインタビューで噴く、吹く、のっけから「今夜
のステージはオレの音楽人生を振り返るようないいステージだった」から始まり最
後の方では「世界平和を願っている・・」まで、機嫌のよい時のお馴染みいい人(
ぶった)JB・・・・元祖「虚言癖」ここにあり。しかし、私はJBが好きだ!!
#Movie Star:以前にも書いたことがあると思うが、僕はジャンヌ・モローという女
優がものすごく好きだ。好きになったのは高校生の17才くらいの頃。ジャンヌ・モ
ローは「死刑台のエレベーター」「突然炎のごとく」「大人は判ってくれない」「
黒衣の花嫁」「小間使の日記」などのいわゆるヌーヴェル・ヴァーグというヨーロ
ッパの新しい映画運動の代表的作品に出ていた女優だ。どれも素晴らしい映画だが
、最もポピュラーなのは「死刑台のエレベーター」か?これは音楽をマイルス・デ
ィヴィスがやっていてハラハラ・ドキドキのストーリーとは反対にクールなマイル
スのペットの音が流れるのが印象的で、僕が背伸びをしてジャズ喫茶通いをするき
っかけになった映画だ。しかし、僕が完全にまいったのは男2人女1人の不思議な、
複雑な愛のストーリー「突然炎のごとく」のスクリーンに映ったジャンヌ・モロー
だった。同級生たちはオードリーやモンロー、リズ・テイラーを好きだったが、僕
はこの成熟した、大人の、毅然とした、自立した、しかも可愛くて、セクシーでも
あった彼女に夢中だった。その彼女が週刊誌の対談に出ていた。72才の彼女はもう
初老だが、映りの良くない週刊誌の写真に僕はかってのときめきを思い出した。し
かし何がいまも魅力的かと言えば、その対談のすべての彼女の言葉はしっかりした
意志に貫かれており、しかも聡明で、人間的で、その上ユーモアもある。何かと言
うと「かわい〜〜〜〜い」という表現の言葉しかできない女性が多いこの国・・・
テレビの若い女性レポーターも電車の中の女子高生も、スーパーの奥さんも「かわ
い〜〜〜〜い」と「おいし〜ぃ」だ。ええ年こいていつまでも「かわい〜〜〜〜い
」じゃ「かわいくない」と僕は思う。昔「女はちょっとアホな方がかわいいでぇ」
と言った男がたくさんいたが、ちょっとの「アホ」というのもどの程度なのか?わ
からないが、僕の未熟な経験から「アホ」な女性を相手にすることほど疲れること
はないと思う。
「映画は美しく仕上がって成功した作品なら、映画は夢ではなく現実なのだと思う
」と彼女は語っているが、そこからコーヒーだけで何時間も楽しく映画の話ができ
るような人がいい。告白すると大学入試の時、僕はひとつだけ仏文科を受けた。そ
して落ちた。それはジャンヌ・モローのような、大人のアンニュイなムードのフラ
ンス女性との出会いへの期待が胸の奥にあったからだが、邪念が多すぎた受験生は
あっさり落された。そして、フランスの「仏」という言葉だけが僕の綽名になった
。ほとほと・・ほとけだ。付け加えるならイタリアのモニカ・ヴィティという女優
にも振り回された・・つきあっていわけじゃないが・・。アンニュイの固まりみた
いな女優だった。「赤い砂漠」という映画を御覧ください。
#オーディオ:中学の頃、我家のステレオはコンポタイプというのかスピーカーもプ
レイヤーもひとつになっていて、まん中の観音開きの小さな扉を開くとプレイヤー
がザーッと前に迫り出してくる代物だった。そのステレオからは親父の古賀政男か
ら母の三橋美智也、兄と私のビートルズはもちろん私が気取って買ったソニー・ロ
リンズの「テナー・マッドネス」も流れたが、レコード針を買い替えた記憶が・・
・ない。ステレオになったばかりで試聴用のビニールのソノシートがついていて、
「さて、みなさんいまから汽車が右のスピーカーから左のスピーカーに走ります。
」なんていうアナウンスの後、「シュッポ、シュッポ、シュッポ・・・・ポッポー
」と走り去る汽車の音に「ひゃーっっ」と感動していた私だった。しかし、手入れ
は誰もしなかった。ほこりまみれの針がザッザッザーーッとまん中に向かって一気
に飛ぶこともあった。針が錆びていたような記憶もある。しかし、このステレオは
私にビートルズを初めとする洋楽の素晴らしさを教えてくれたのである。それから
何十年、いまもオーディオにはさっぱり興味がなく、操作も苦手で先日もダビング
したMDの音のレベルが低いとドラムの鶴谷から注意された。しかし子供じゃあるま
いし「レベルが低けりゃ自分のオーディオで上げろ!」と言いたい。最近発売され
た、思いっきり音圧の低いマジック・サム(Magic Sam)のライヴ盤「Rockin'Wild
In Chicago」を1日に1度は聞く日々が続く中、様々なオーディオの想い出が頭をよ
ぎった。
#「Rockin'Wild In Chicago」昔・・・70年代の中頃にマジック・サムのライヴだと
いうカセット・テープを聞かせてもらい、そのスピード感と溢れる躍動感に音が悪
いのも忘れ聞き入ってしまった。それは1969年の「アン・アーバー・ブルース・フ
ェス」でのライヴでサムが亡くなる数カ月前の録音ということだったが、とても亡
くなるとは思えない生命力に満ちたパワフルな演奏だった。それが81年にP-Vine レ
コードからシカゴのクラブの演奏も加えられた2枚組のアルバム「マジック・サム/
ライヴ」となって発表された時は狂喜乱舞したものだ。正式に残された2枚のアルバ
ムでは聞けなかったサムの張りつめた魂がもう張り裂けんばかりに溢れていた。柔
軟かつ攻撃的、憂いに包まれつつ力強く、説得力のあるプレイ。それはサムのシカ
ゴの先輩たち、マディやウルフとは違う、また当時のトップを行くブルーズ・スタ
ー、B.B.Kingとも違う真新しいテイストのあるプレイだった。その81年から20年以
上経って再び狂喜乱舞させられるとは思ってもみなかった今回の「Rockin'Wild
In Chicago」の発売だ。以前のライヴ盤と同じく今回も音は悪い。僕は音が出た瞬
間にステレオの低音も高音も目一杯に上げ、音量もかなり上げた。音響の専門家で
もあり、ギターのネックを噛んで歯の強さを誇示している(何のために?)ブルー
ズマン、吾妻光良はかって私に「音っていうのは結局宗教ですよ」と言い切った。
どんな音でもこれがいいと思えば、その音はその人にとって「神」なのだと言う。
近頃のクラブというところでは何であんなに低音がでかいのか、あれでは低能にな
ると批判した私への答がそれだった。低音が「神」なのか?そういうクラブ人にと
って今回の「Rockin'Wild In Chicago」は「苦行」かも知れない。しかし、多くの
音の劣悪なブルーズのレコード特にマディ・ウォーターズの海賊盤などで、具のな
いお好み焼きのようなペラペラ・サウンドに鍛えられてきた私は今回のサムの「
Rockin'Wild In Chicago」からもサムの魂にあふれた音をつかまえるのに時間はか
からなかった。
1937年生まれのマジック・サムは多くのブルーズマンと同じように田舎から一旗挙
げようとシカゴにやってきたのだが、今も現役のバディ・ガイ(1936年生まれ)、
オーティス・ラッシュ(34年生まれ)リトル・ミルトン、また亡きジュニア・ウエ
ルズ、そして亡きフレディ・キング(34年生まれ)と同じ世代のブルーズマンだ。
マジック・サムは57年仲の良かったオーティス・ラッシュの後を追うように同じ「
コブラ」と契約し "All Of Your Love""Easy Baby"などを録音。その後「チーフ」
というレーベルに数曲レコーディングするが その後サムも66年に「クラッシュ・レ
ーベル」に名作"Out of Bad Luck"を録音するまでレコーディングがなかった。そし
て、僕が初めて聞いたサムのアルバム 「West Side Soul」を67年に「デルマーク・
レコード」から発表。翌68年にはよりソウル寄りの「Black Magic」を発表。70年代
前半塩次伸二たちと「ウエストロード・ブルーズバンド」を形成する過程でそのバ
ンド・サウンドの研究材料のアルバムの中にこの2枚も入っている。デルマークもイ
ンディーズだが、この2枚でかなりサムは興味を持たれ、ライヴはレコードなんても
のじゃない!と多くの聴衆をライヴに集めるようになり、白人の大学祭や大きな野
外コンサートにも出演し、ヨーロッパへツアーにも出るようになった。そして、当
時の北の「モータウン」と双璧であった南の「スタックス・レコード」との契約の
話も出始めた頃には「B.B.キングの次はマジック・サムだ」という声が高まってい
た。が、69年12月休むことなく忙しい日々の疲労から心臓に負担がかかりサムは急
死した。僕たちがブルーズに興味を持ち始めた時にはサムは32才で亡くなっていた
。そのサムの死の4ヶ月ほど前のライヴが81年にレコード化されP-Vineから出た「マ
ジック・サム/ライヴ」だった。僕は「アン・アーバー」の野外コンサートよりシカ
ゴのクラブでのサムのライヴの方が好きだった。演奏の音の中に漂う猥雑な黒人ク
ラブのムード。そして、MCがサムを「世界的に有名な」と恒例のはったりをかます
紹介があり、満員とは言えない拍手の中サムは「イェーッ」と客を煽り、自分を奮
い立たせハイ・テンションなライヴに突入する。そのクラブ「アレックス」のライ
ヴと「コパカヴァーナ」というクラブのライヴが今回発売の「Rockin'Wild In
Chicago」にも収録されており、ムンムンと漂うムードは前回と同じだ。63年から
68年のライヴだが、まだシカゴ・ゲットーのローカル・スターでしかなく、たぶん
毎月出演していたクラブで客がすこしまばらになってしまった午前3時というのにこ
のジミ・ヘンばりの高まり!哀愁と鋭さがミックスされたギターを弾きながら、ジ
ュニア・パーカーの影響の強さがわかるビロードのように柔らかく、無理のない喉
から空を駆け抜けるようなよく伸びる声がクラブに響き渡っている。しかし、表面
的な音は良くない。だが、音質のレベルが高い、低いなどという話が真に魂のある
音楽の前では無意味なことをこのアルバムは教えてくれる。音を聞くのではなく音
の中の魂を聞くことが音楽であることを改めて知らされる。しかし、この音から演
奏者の魂を聞きつかむことができないと、戦前のカントリー・ブルーズの魚を焼い
ているノイズが入る音にたどり着き、ブルーズの神髄のひとつを味わうことはでき
ない。私もかってブルーズを聞きはじめた頃、クラプトンのカヴァーがかっこ良か
った「All Your Love」のオリジナル、ラッシュのコブラのオリジナルがどんなにか
っこいいのか・・・と胸を高鳴らせ聞いた途端、その音の薄焼きせんべいに落胆し
奈良の底へ、いや奈落の底へ落ちたものだ。しかし、その底から「苦行」を重ねに
重ね、無駄金をレコードに費やし、レコード店に借金し、進化するテクノロジーに
まるで反逆するかのような年月を過ごすうちに女には逃げられ、業界からは疎んじ
られ、やっと現在の崇高な境地にたどり着くことができた。やれ音の良いMDだ、高
音質のCDだと次々に購買心をそそる家電メーカー、オーディオ・メーカーにうまく
乗せられてきた私達だが、今回のマジック・サムの「Rockin'Wild In Chicago」は
「音がいい」イコール「音楽がいい」ではないことを再認識させてくれる。います
ぐレコード店に走り、このアルバムから燃えるサムの魂を軍手でもしてキャッチし
てくれ。
#スケジュール:
12/4 目黒ブルーズアレイ/塩次伸二+ブッチャー浅野g+鶴谷智生dr+松原秀樹b+ホ
トケ
12/24 荻窪ルースター"Merry Christmas Baby"仏壇返し+藤倉つぐひさ+ホトケ
12/29 高円寺JIROKICHI/ENDLESS BOOGIE 2002 VOL.2 鮎川誠g+シーナvo+小堀正
b+ホトケvo g+岡地曙裕dr
12/30 JIROKICHI/ENDLESS BOOGIE 2002 VOL.2 小堀正g+レオvo+ホトケvo g+松本
照夫dr+岡雄三b+YANCY (pf)
12/31 東京厚生年金会館「ROCK LEGENDS C O U N T D O
W N」(テレビ朝日主催)/金子マリvo+森園勝敏 g+岡井大ニ
dr+金子統昭dr+大西真b+ホトケvo+石井為人dr 他バンド多数
<2002/12までのライヴ問い合せ先は以下の通り>
JIROKICHI Tel&Fax 03-3339-2727 http://www.jirokichi.net/
ルースター Tel&Fax03-5347-7369 / 03-5347-7369
http://www.rooster.jp/
#12/31「ROCK LEGENDS C O U N T D O W N」は20:00か
らの第一部に僕達は出演予定ですが、詳細はテレビ朝日のイベント・ウェブこちら
をサーチ http://www.tv-asahi.co.jp/event/
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