夏に東京で公開されてから評判を呼んでいる"THE BLUES Movie Project "ですが、地方にツアーに行くと観ることが出来ない地方の方々から「いいらしいですね、あの映画・・」と言われる度になんとか多くの街で公開されないものか・・と思う。
さて、今回はその"THE BLUES Movie Project "の総監督でもあるマーティン・スコセッシが監督した"Feel
Like Going Home"を取り上げてみよう。
タイトルの"Feel Like Going Home"は1948年にマディ・ウォーターズが、チェス・レコードの前身「アリストクラット」レーベルから発表した"I
Feel Like Going Home"からとったものだろう。この曲は"I Can't Be Satisfied"とのカップリングでヒットし、マディの黄金期そして50年代シカゴ・ブルースの全盛はこの曲から始まったと言ってもいい。
この映画はブルーズの源流を辿る、そしてブルーズは何かを探る旅を記録した興味深いフィルムであり、恐らく時代が経過するにつれて貴重なフィルムのひとつになるだろう。このブルーズ源流への旅人は私よりも20才近く年下のコーリー・ハリスだ。まず、このコーリー・ハリスについて少し書いておきたい。
(コーリー・ハリス/Corey Harris)
コーリーは69年にコロラドのデンヴァーに生まれている。彼は同世代の者たちと同様にソウル、ファンク、ジャズ・・などジャンルを問わずに何でも聴いて育っている。ブルーズもその中のひとつとして聴いているが、自分の近くにブルーズマンがいたという訳ではない。コーリーよりだいぶ年上のロバ−ト・クレイはコーリーが生まれた69年、高校生の時にブルーズマン、アルバート・コリンズのライヴを聴いてブルーズを始めている。つまり、クレイの世代あたりの、しかも都会育ちの黒人たちはマディやウルフのように小さい頃からブルーズを聴いて育ったわけではない。つまり、10代後半の自我の目覚めがあってからブルーズという音楽を自分の意志で選択し、先輩ブルーズマンのライヴやレコードを聴いて自分の腕を磨いてきた。彼のデビュー・アルバムは95年の"between
midnight and day"(アリゲーター)だ。その登場は私を含め多くのブルーズ・ファンにとって衝撃的なものだった。取り上げているチャーリー・パットン、フレッド・マクダエル、ブッカ・ホワイトと言ったデルタ・カントリー・ブルーズマンの曲に、彼は独自の新しさをブレンドさせ古いブルーズをカヴァ−しているだけではなかった。カヴァー曲の間にちりばめられている彼自身のオリジナル曲にも違和感はなく、彼のブルーズに対する真摯な姿勢をしっかり感じることが出来た。もちろん、金属製のナショナル・リゾネイター・ギターを弾きながら歌われる彼の深みのある、それでいて初々しいヴォーカルも魅力的だった。この最初のアルバムに彼はこの映画のタイトル曲、マディの"Feel
Like Going Home"を録音している。その後97年の2ndアルバム"Fish ain't Bitin'"など順調にリリースを続け、いまやブルーズ界に欠かせない若手のひとりになっている。
映画の最初にコーリーはこう語る-「行く道を知るには来た道を知るべきだ」。私がブルーズを30年以上聴きつづけ、歌いつづけてきた気持の一面もこの言葉が言い表わしてくれている。別の言い方をすると、ブルーズという音楽にはその深い源泉に聴き手を導く不思議な力をもっている。その力に惹かれたコーリーは、まずブルーズがいまもプリミティヴな形で受け継がれている南部に旅をさせる。そこでサム・カー(ロバート・ナイトホークの息子)、ウィリー・キングなどいまもブルーズと生きつづけるブルーズマンを訪ねる。ウィリー・キングが「ブルーズは黒人の苦しい生活を癒すものだ」と、語る表情には悲しさや辛さとともに怒りが感じられる。そして、こういった現在の南部のブルーズマンへの映像の間に何度かアラン・ローマックスという白人の男の姿が映し出される。
(アラン・ロマックス/ALAN LOMAX)
アラン・ロマックスは父のジョン・ロマックスとともにフォーク、ブルーズ、カントリー、ゴスペルなどアメリカの民族音楽(教会の説教や子供の遊び歌まで)の膨大な保存録音に尽くした偉大な人物だ。現在、私達が1920.30年代の貴重な音源を聴くことができるのは、この人たちの緻密な仕事のお陰ともいえる。彼等の自らに課した大きな使命感によって遂行された業績はもっともっと評価されるべきだ。有名、無名を問わず、また人種を問わずロマックス父子の自らの耳と心を頼りに録音された中にはプロへの道を開かれたミュージシャンもおり、マデ?ウォーターズもそのひとりだ。この"THE
BLUES Project"シリーズの様々な場面に彼が録音したブルーズや、撮った珍しい映像が現れる。その登場するミュージシャンとともにこの偉大なジョンとアランの父子の業績も思い出して欲しい。また、"ALAN
LOMAX/BLUES SONGBOOK"(ROUNDER82161-1866-2)という素晴らしいアルバムも出ているので興味のある方は是非探してみてください。(Photogragh
に写真あり)
さて、その貴重な映像のひとつとして画面に現れるのが、"Death Letter Blues"を歌うサン・ハウスの姿だ。この映像をはじめて観たのはいつだったか忘れてしまったが、ギターをパーカションのように叩き弾き、振り絞るように全身全霊を込めて歌うサン・ハウスの姿に唖然となったことを憶えている。何度観ても素晴らしく、そのブルーズが歌われる美しい瞬間にはブルーズを知らない人でも胸打たれるものがあるのではないだろうか。
そして、次にコリー・ハリスはアメリカ黒人のマザー・ランドであるアフリカの音楽の影響が色濃く残っているのではないか、と言われているミシシッピー北部のヒル・カントリ−・ミュ−ジックの数少ない継承者オサー・ターナーを訪ねる。オサーはファイフというシンプルな笛を吹きながら歌う。その歌詞は「この世に重荷をおろして、神を讃えよう」というゴスペル的なものだが、彼の吹くフェイフの旋律と音色は遥かなアフリカの音楽を感じさせる。その後にドラムとフェイフだけで奏でられるサウンドになるとアフリカ的な感触はより強くなる。でも、それがアフリカのどこのどういう音楽かは私にはわからない。
私はそんなにアフリカ音楽に詳しくはない。そういう私もあなたも連れてコーリーはアフリカへひとっ飛び!その源流を訪ねてアフリカにコーリーは到着する。
アフリカの雑踏の中を歩くコーリーの姿には何の違和感もない。生っ粋のアフリカンと言っても何の不思議もない。このフィルムの後半に登場するアフリカノ偉大なミュージシャン、アリ・ファルカ・トゥーレがコーリーに「黒人のアメリカ人というのはいないんだ。すべて黒人、アフリカンなのだ」と語るシーンが出てくるがまさに、それを証明するようなコーリーの歩く姿だ。そして、彼はサリフ・ケイタ、ルビブ・コイテ、アリ・ファルカ・トゥーレとアフリカのミュージシャンを訪ね、ブルーズの源泉の音楽を聴き、一緒にセッションをしていく。サリフは言う-「自分の音楽はブルーズと同じ、人生の苦しみを歌っている」と語り、アフリカのジョン・リー・フッカーとも呼ばれるアリ・ファルカは「自分の音楽とジョン・リーのブルーズルーツは同じだ」と話す。そして、ミシシッピーのヒル・カントリーに酷似した笛とパーカッションだけの音楽が登場する。アフリカへ旅する中後半の映像は本当に私にとっても音楽的な初体験であり、感動的であり、教えられることも多かった。
知らないミュージシャンもたくさん出てくるし、このシリーズの他のフィルムほど有名ミュージシャンの登場もないが、すべてではないがブルーズという音楽の源泉を知るにはこれがいちばんだろう。このフィルムを観て私はもう一度アフリカ音楽を自分で探してみようという気になった。そして、映画の最後に「ミシシッピーのヒル・カントリ−・ミュ−ジックがオサー・ターナーから、オサー・バーニスとシャーデ・ト−マスに受け継がれていく」というテロップが流れる。
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