すでに御覧になった方も多いと思いますが、亡きレイ・チャールズの自伝映画「Ray」が公開されている。私が観に行った前日にアカデミー賞の発表があり、主演のジェイミー・フォックスが主演男優賞を獲得したこともあったのか、映画館は満員の入りでした。この主演のジェイミー・フォックスが本物のレイそっくりなことにまず驚く。演奏シーンだけでなく、普段の喋り方から身ぶり手ぶりまでそっくりだ。彼はミュージシャンでもあるし、モノマネの上手いコメディアンでもあるから器用であるのはわかるが、あれほどぴったりとピアノ演奏の指使いができていたのには目が点になった。後からパンフレットを読むとジェイミーは主役をオファーされてから撮影に入るまでの3年間毎日レイのビデオを観たという。また、撮影に入ったときにはレイのすべての曲を歌うことが出来たという。そして、撮影時には目の見えない特殊メイクで一日14時間、レイと同じような見えない世界にいたという。欧米の役者のこういう徹底ぶりだけでなく、楽器、衣装、風景そして小物までのしっかりした時代考証などにはほんとうに驚かされることが多いが、映画は「子供だまし」ではなく「大人だまし」の世界なので、これくらいしっかり作り込んでくれるとやはり見ごたえがある。私にはこの映画のベースとなったレイの伝記「我が心のジョージア〜レイ・チャールズ物語」の原書である"Brother
Ray"(Ray Charles&David Ritz共著)を、ずっと昔にピアニストのチャールズ清水からプレゼントされ、辞書を片手にすごく時間をかけて読んだ想い出がある。かなり赤裸々に自分の過去を語っているその本からのエピソードと思えるシーンも、やはりしっかりした映像で示されると強烈なインパクトをもつことを実感した。また涙腺が弱くなっている今日この頃だが、黒人で盲目という大きなハンディを背負った自分の子供がなんとか自立して生きていけるようにしょうと厳しく躾けるレイのお母さんと、それに応えようとがんばるレイとのシーン(とくに母と別れ寄宿の盲学校にひとりで旅立っていく場面など)には何度かハンカチが出てしまった。あまり映画の内容を言うのも不粋ですが、もうひとつ心に残ったシーンを。後にレイの妻となるデラ・ビーと出会い、デートしている時に「ハチドリの羽音が聞こえる」とレイが言うのに、最初デラ・ビーにそれが聞こえない。でも、目を閉じて耳を澄ますと人の話声の向こうに確かにハチドリの羽音が聞こえ、デラ・ビーはにっこりと微笑む。この時、彼女は盲目のレイの素晴らしい世界を共有し、レイに尊敬の気持ちを持つ。このシーンは私達に大切なことを教えてくれている。目も見える、耳も聞こえる、喋ることもできる何も不自由のない人間は、ひょっとすると心から聞いたり、見たりしていないのではないかということ。実際、デジタルのCDやMDでせわしなくスキップし、曲を次から次へと飛ばして聞くいまの時代の私達は本当にその曲、その歌のすべてをしっかり聞いているだろうか?それは人間同士の会話にも表れていて、相手の話をゆっくり、深く聞くことをおろそかにしていないだろうか?ハチドリの羽音のような小さな誰かの声を私達は聞いてあげようとしているだろうか?
2時間30分という長い映画だが、長いとはまったく感じさせない展開の素晴らしさ。もっともレイ・チャールズのような偉大な人間の人生を2時間30分で表現することなど無理なことなので、あのあたりをもう少し深く描いて欲しかったと思う部分はある。例えば、レイがまだ売れる前、破天荒なブルーズマン、ギター・スリムの大ヒット"The
Things That I Used To Do"のアレンジとピアノを担当したいきさつなどは描かれていないし、名曲"What'd I Say"で使われているラテン・リズム(レイにはラテン・リズムを取り入れた曲がかなりの数ある)をレイはどうやって自分のものにしたのか・・ということなどもブルース派の私としては描いて欲しかった。でも、時間とお金を使って観賞するだけの価値は充分過ぎるほどある映画だ。是非、みなさんも映画館に足を運び、レイのレコードをもっていない方は見終った後、レコード店に向ってください。レイを聴いているとどんなことがあった、どんな日でも生きていることが素晴らしいと私は感じる。例えば私はレイの大ヒット「愛さずにはいられない/I
Can't Stop Loving You」を聴いていると、あの曲はラヴ・ソングだが、「人生を愛さずにはいられない」という風に感じることもある。ひとつの小さな歌が信じられないほど大きな広がりを自然にもつレイの歌唱はやはり天才的だ。
これを書いていた今朝、東京に雪が降った。レイの耳には雪の降り積む音はどんな風に聴こえたのだろうかと、書き終った後しばし窓を開けて雪が舞い落ちてくるベランダに出てみた。その間、私の頭の中には「愛さずにはいられない」が流れていた。 |