10日ほど前、ネットのニュースに「ボブ・ディランが米アルバム・チャートで30年ぶりのトップに」と出ていた。1975年のアルバム「欲望/ディザイアー」以来のトップ獲得ということだ。
しかしボブ・ディランがすごく好きか?と聞かれると返事に困る。彼のアルバムをすべて聴いているわけでもなく、今回もこのニュースをネットで見かけなければ私はアルバムを買わなかったかも知れない。でも、いつも気になるミュージシャンであることは確かで、昨年リリースされたフィルム「ノーディレクション・ホーム」もすごく興味深く観た。私が好きなディランのアルバムは「追憶のハイウェイ61」や「ブロンド・オン・ブロンド」、「ナッシュヴィル・スカイライン」「新しい夜明け」そして「欲望」といった60年代、70年代のアルバムだ。「欲望」以降はあまり聴いていなくて、久しぶりに買ったのが97年の「Time
Out Of Mind」だった。だから私は熱狂的なディラン・ファンではない。でも、音楽界におけるその大きな存在の動きにはいつも注目している。
この新しいアルバムについて少し書きたいと思う。
最初に言ってしまうと、このアルバムはすごくいい!買ってきて立て続けに3度聴いた。ブルーズが3曲入っているのも気に入った理由のひとつだが、それらはまったくの彼のオリジナルではなく古いブルーズをベースに自らのオリジナルの詞を書込んでいる。その彼の作った新しい詞が素晴らしい。ただいつもながら歌詞が長い、長い。
マディ・ウォーターズのバージョンをベースにしている「Rollin'&Tumblin'」は11番まで歌詞がある!5曲目の「Someday Baby」もやはりマディなどが歌っていた「Trouble
No More」タイプの曲だ。9曲目の「The Levee's Gonna Break」は古いメンフィス・ミニーのブルーズがベースだ。ブルーズだけでなくカントリー、フォーク、ジャズなど様々なアメリカのルーツ音楽をベースに、彼は「いま」の歌詞をのせて歌っている。その歌詞はラブ・ソングもあれば社会的、政治的なものもあるのだが、なんか全てが哀しい。もう取り戻しようのないところに世界が来てしまったようなことを私も感じることがある。ディランの今回の詞の中にはそういうことにまつわる寂寥感が漂っている。アップ・テンポの曲にもなんかやたら哀愁を感じるなぁ・・・と思っていたら、ディランの声が変ったのだ。すごくいい枯れた声になってきた。作ろうと思っても作れない自然に枯れてきた声だ。その声がアルバム全体を哀愁で包んでいる。
このアルバムをたくさんのアメリカ人がいま支持していることはすごく興味深い。こういう誠実なアルバムがチャートのトップになるアメリカっていいなぁと久しぶりに思った。
いまのところ2曲目の「Spirit On The Water」がいちばん気に入っている。6曲目のまともに働きつづける人たちのことを歌った「Workingman's
Blues#2」にはディランいつもの鋭い視点が効いている。7曲目の「Beyond The Horizon」はいつまでも耳の奥で流れ続ける素晴らしいラブ・ソングだ。
このアルバムを聴いていて、昔アメリカを旅行した時にほとんど客のいない街はずれの安いレストランで、真夜中ひとりでハンバーガーを食べていた白人の男のことを思い出した。その男は包んであるハンバーガーを全部広げて、中の肉もピクルスもレタス、トマトもすべてを取り出して別々に食べていた。実にゆっくり彼はナイフとフォークを使って食べていた。私はそんな風にハンバーガーを食べる人をはじめて見た。
食べ終ると彼はずっと窓の外を見ていたが、もう行き交う車も人もなかった。真夜中、静かに音楽が流れるだだっ広いレストランで彼の姿はとてつもなく淋しく見えた。
アメリカはひとりで生きるには淋しい国だとその時思った。そして、その裏返しがあのアホみたいなアメリカ人の陽気さなのかも知れないとも思った。
ちなみに私が一番好きなディランの曲は「Just Like A Woman」。
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